ウェルズの調査報告書の添付図面

 

                     高橋 輝和

(岡山大学)

 

 在日アメリカ大使館員のサムナー・ウェルズが19163月に作成した全11ドイツ兵俘虜収容所に関する調査報告書の拙訳を本誌の創刊号に掲載した。この和訳の元になったのはベルリーンの連邦公文書館に保存されている文書であったが、ワシントンの国立公文書館に保存されている原本が120ページもあると言われていたのに対して、ベルリーンにあるのは英語原文で64ページ、ドイツ語訳で62ページに過ぎないのは、調査報告書の一部が省略されていて、添付資料の多くもドイツ側には送られなかったためであろうと思われた。事実、ドイツ語訳には「添付なし」といったような脚注が見られるからである。

 そこで、どの部分がドイツ側に伝えられなかったのかを調べるために、改めてワシントンの国立公文書館から原本のマイクロフィルム(Microcopy No. 367: Records of the Department of State Relating to World War I and its Termination, 191429. Roll 293)を取り寄せて、ドイツ側が受け取った写しと対比してみた。

 ウェルズの調査報告書の原本には駐日アメリカ大使に宛てた彼自身の書簡とワシントンの国務長官に宛てた駐日アメリカ大使の書簡が添付されているが、これらはドイツ側に送られていないので、まず以下にその和訳を示す。

 

                           1916321日、東京

 在東京アメリカ大使、ジョージ・W. ガスリー閣下

 謹啓

 閣下のご指示に従い、私は在日俘虜収容所を訪問するためにバランタイン氏と共に2

29日火曜日に東京を発ちましたことをご報告申し上げます。私は旅行期間中、俘虜担当の将校達により最高の儀礼を授けられ、そしてほとんど例外なく収容所の実態を知り、俘虜達の処遇に関して彼ら自身と話をし、彼らの不平が何であるのかを確かめる、あらゆる機会を与えられました。

 私は問題の調査により、(日本)帝国政府がその管理下にある俘虜達の厚生と健康のために適当なあらゆる方法で全力を尽くす意欲をあまねく示したと確信しています。帝国政府は、二つの事を例外として、日本人兵士とヨーロッパ人兵士の生活様式における違いを十分に配慮しました。俘虜全員の健康は一般的に著しく良くなっています。この件で統計が取られた収容所では俘虜達は抑留されて以来、体重が各々約7ポンド増えました。収容所の開設以来、所内で発生した伝染病については何も耳にしませんでした。俘虜の間で生じた深刻な病気の件数は極めて僅かです。兵士達は一般的に健康状態が良好で、服装も良く、満足しているように見えました。久留米収容所と大阪収容所の入所者達を除いて、俘虜の大多数は自らの処遇に満足しており、それだけの理由があると私は信じています。

 一般的な不平は、幾つかの違反のために下級の俘虜達を処罰する必要がある場合に、彼らを監禁する営倉の特性に原因があります。私に伝えられたところでは、収容所内の営倉は日本の駐屯軍の営倉と同一とのことですが、しかしヨーロッパ人を監禁するには適当ではないように思われます。ある種の状況下ではそこに監禁される兵士達の健康に極めて有害であると判明するかも知れません。営倉の形式はどの収容所でも同じですが、幾つかの営倉では日よけや雨・風よけの被いが入倉者達に供されていません。俘虜達が監禁される部屋は約15平方フィートで、これより小さい場合もありますが、むき出しの壁と硬い木の床が付いています。1例では天井がとても低くて、身長が5フィート6インチ以上の兵士は直立することができない程でした。片側には壁の代わりに重い木の柵が付いています。唯一の設備は、部屋の片側にある高さ約3フィートの小室の日本式便所です。いかなる種類の備品もありません。監禁の期間は3か月から23日まで様々です。この期間中、兵士達は食べ物として紅茶とパンしか取ることが許されず、毛布も何の暖房器具もなく、いかなる種類の洗面設備も、2日間は体を洗う機会もありません。3日に1回、彼らは通常の収容所の食事と毛布と体を洗う機会を得ます。この処置は通常の懲罰の場合には監禁の期間を通して続けられます。もっと寒い気候の間は営倉に被いのない所で兵士達が毛布を与えられない2日間の苦痛は甚だしいものです。私は、多くの俘虜がこの処遇から深刻な不平をあらわにしていると知らされました。

 (日本)帝国政府は日本人兵士とヨーロッパ人兵士との間の生活状況の大きな違いを配慮しようと一般的には努力していますが、これに対する別の例外は、俘虜の多くが収容されている建物の特性にあります。多くの収容所内のこれらの建物は以前は寺院で、古くて風雨に耐えず、ヨーロッパ人兵士の宿泊には不適です。これらの建物の特性は俘虜の間に多くの苦情を引き起こしました。結果として生じる状況は幾つかの場合に動揺させる事態を招きました。

 これら二つの事例を別にすれば、既述の通り、日本人の生活様式とヨーロッパ人の生活様式との違いが十分に配慮されています。兵士達は自らの食事を調理することが許されていて、その質に関して私はいかなる不平も決して耳にしませんでした。十分な毛布や寝具はどこでも兵士達に支給されています。収容所の詳細な報告書の中で取り上げる23の例外を別にして、衛生設備は抜群です。収容されている兵士達と担当将校達との関係は良好でして、久留米収容所を除けば、収容されている将校達と日本の担当将校達との関係は一般的にねんごろです。二つの収容所においてのみ私は俘虜達が衛兵達に虐待されたと信じる理由を見出しました。

 それ故に、久留米収容所と、程度は下がりますが大阪収容所を例外として、(当)大使館に伝えられ、ドイツ政府の注意を引いた動揺を招く諸報告の根拠は見出せなかったことをご報告申し上げます。これに反して久留米収容所以外のどの収容所でも、日本に抑留されている俘虜達のために一切の然るべき備えをするという帝国政府の意向が大部分は実現されていることを見出しました。状況が十分であるとは思われなかったあの1収容所では、担当将校達の人格に主たる原因があって、日本政府の明白な意欲に背いていると私は考えます。

 私が訪問した各収容所の詳細な報告書を同封いたします。これらの報告書の各々には、収容所調査の間に俘虜達から手渡された苦情文書をその英訳と共に添付いたしました。

 私は最後の収容所を訪問して、終局的には315日に東京に戻りましたことをご報告申し上げます。                             謹白

                            サムナー・ウェルズ

 

                            1916411日、東京

 在ワシントン国務長官閣下

 謹啓

 当(日本)帝国における、ドイツとオーストリアの俘虜が抑留されている個々の収容所に対して当大使館の3等書記官、サムナー・ウェルズ氏が日本語書記官補、J.W. バランタイン氏を同伴して行った視察調査の報告書を、ドイツ政府への伝達のために、同封いたします。

 私はウェルズ氏の綿密で苦心の調査を賞賛したいと思います。その調査は現状に関する包括的にして中庸を得たこの報告書に帰着しています。

 この報告書における主要な点を私は、国務省の指示に従って(日本国の)外務大臣に伝えました。

 私は個人的なコメントを追加する必要を認めませんが、しかし言及された事柄の幾つかはウェルズ氏自身の観察した問題であり、一方、他の事柄は彼が個人的には知識を持たない事に関して俘虜達が彼に対して行ったコミュニケーションから成っていると言われることをお伝えしておきます。全ては同様にドイツ政府の判断のために伝達されるものです。  

謹白

                            Geo. W. ガスリー  

 

 ワシントンにあるウェルズの調査報告書の原本とベルリーンにあるその写しとを比べてみると、調査報告書本体は完全に同一ではないものの、ほぼ同一であり、資料文書の小さいものもほぼ全てがドイツ側に伝達されているが、大きな資料文書と全ての図面や地図は、ウェルズと駐日大使の意図に反して、伝達されていないことが判明した。

 ドイツ側に渡されていない大きな資料文書とは松山収容所のクレーマン(調査報告書ではクレーメン)少佐から24ページ分の英訳と共に手渡された独文28ページ分の苦情文書であり、同時に郵便物遅配の証拠として受け取った多数の古封筒もワシントンに残されている。ただしクレーマン少佐の苦情文書のごく一部はベルリーンの写しの中に取り上げられている。

 収容所の図面でワシントンに残っているのは、久留米のバラック収容所(図版12)、松山収容所の大林寺と公会堂と山越の寺院(図版38)、名古屋収容所(図版910)、徳島収容所(図版11)である。

 ウェルズの調査報告書には大阪収容所の図面も添付されているとあるが、これだけはワシントンにも残っていない。恐らく、調査報告書が作成された直後に、大阪収容所の建物13棟が全焼したため、図面を添付する意味がなくなったので、ワシントンには送付されなかったのであろう。

 

 

 

 

図版1.久留米のバラック収容所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図版2.久留米のバラック収容所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図版3.松山収容所の大林寺

 

 

 

 

 

 

図版4.松山収容所の公会堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図版5.松山収容所の公会堂2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図版6.松山収容所の山越の寺院(その1

 

 

 

 

図版7.松山収容所の山越の寺院(その2

 

 

 

 

 

 

 

図版8.松山収容所の山越の寺院(その3

 

 

 

 

 

 

 

図版9.名古屋収容所(その1

 

 

 

 

 

図版10.名古屋収容所(その2

 

 

 

 

 

 

 

 

図版11.徳島収容所