俘虜のHeimatsortの比定について

 

星   昌 幸

(習志野市教育委員会)

 

 本誌を通じて、各地の収容所研究が共通して利用できるような基礎的なデータを提供したい。そんな思いで前号には、「日独戦争におけるドイツ側階級名・部隊名について」を投稿したところ、不完全なものにも関わらず歓迎されたのは望外の喜びであった。

 そこで今回は、「俘虜名簿」に記されているもう一つの重要データ、Heimatsortを取り上げてみたい。日本側の「俘虜名簿」にはHeimatsortすなわち「本籍地」と記されているのだが、戸籍の制度のないドイツ兵について、これが出生記録のある地を意味しているのか、留守家族の住所地を言っているのか、あるいは名門家の出自地のような意味なのか、判然としない。また、本年1月に放映されたテレビ「ドイツからの贈りもの」に見たように、今から往時のドイツ兵の子孫を訪ね、残されている史料を調査しようなどという場合、手がかりとなるのはまず、このHeimatsortである。

 では、「俘虜名簿」に記されたHeimatsortは何か所あって、現在のどこなのだろうか。これが今回着眼した点である。

 

 例によって、ハンス=ヨアヒム・シュミット氏が彼のホームページ上に公開しているデータベースから拾い出してみたところ、4,715人の捕虜(本稿では、日本側が俘虜番号を付した4,715を総数としておく)に対してHeimatsortは2,632か所に上った。これはもちろん、同じ町の出身者がいるからである。

 あとは、それぞれの町が現在のドイツ地図のどこにあるのかを調べればよいと思ったのだが、そうは行かなかった。データとして残っているのは、80年前、90年前の地名である。まず、当時ドイツ帝国領で現在はポーランドやフランスになっている町がある。多くの場合、地名自体がドイツ名からポーランドやフランスの名に変っている。オーストリア・ハンガリーに至っては、Ungarnと記されているから現在のハンガリーかと思えばそうではない。中には、当時Ungarn、現在はオーストリアのブルゲンラントというケースまである(Wolfau)。南ティロル(Meran、現在はイタリア)まで出てくる。地名検索サイトを使って捜すたびに、ロシア(東プロイセン)からデンマーク、クロアチアやスロヴェニアまで出てくる。大変な作業に手を染めたことに、思わずため息をついた。

 次に直面する問題は、現ドイツ国内だが地名が変ってしまったケースである。言ってみれば、90年前の「東京府豊多摩郡渋谷町」は今のどこか、といった問題である。ドイツでもこの90年近くの間に、近郊農村が膨張を続ける都市の中に飲み込まれている場合は多い。日本の収容所から夜空を仰いで懐かしんでいた故郷の村が、今行ってみれば大フランクフルト市のビル街の一角だという場合、現在の地名に引き直してやらなければならないのである。このことはまた、次のような危険も示している。Aという町が2つあり、Aはその後、大フランクフルト市に合併、AAという名のまま今日に至っているという場合、正解はAなのにAの方を拾ってしまうかも知れない訳である。

 さらに頭が痛いのは、Neukirchen(“新教会”村)だのAltdorf(“古い村”)といった、ドイツ中にいくつあるのかわからない、ごくありふれた地名が書かれている場合である。ラント(州)で候補を絞ろうと思っても、そこに添え書きされているのは「ヘッセン=ダルムシュタット」とか「ザクセン=ヴァイマール」といった古めかしい「藩」の名前である。日本の藩も同じだが、こういう世襲領は飛び地も多く、今のどの辺りと簡単には割り切れない。

 なお、4,715人の内3人は、俘虜名簿のHeimatsortの記載自体が不明である(「不明」と表示)。また、184人・177か所については、今回の作業では現在地が比定できず、後日を期すこととした(「調査中」と表示)。

 

 こうした作業を続ける内にふと気が付いたのは、この作業から得られた結果が正しいのかどうか、検証していく方法がないことである。

 留守家族の住所地であれば、比定した町に行ってみれば子孫がいるかも知れない。「このドイツ兵は、確かにウチの爺さんだ」となれば、この比定は正しかったことになる。しかし、仮に正しい比定が出来ていたとしても、現在その町に子孫がいるとは限らないことは、テレビ「ドイツからの贈りもの」を見ても明らかである。仕事の関係でとうに故郷を捨てて、大都会に出た。跡継ぎがなく、墓も失われてしまった。そんなケースに突き当たれば、比定が正しいかどうか、確かめようもないのである。言わば、決定的な物証もないまま「邪馬台国はここだ」と言っているような話になる。また、俘虜名簿の記載自体そもそも、「ベルリン」「ハンブルク」といった大都市の名しか書かれていなければ、これは消息など訪ねようもないはずである。

 書かれている町の名が住所地ではなく、教会に出生記録が残されている場所ということもあるであろう。そこに行き着いても、俘虜名簿では出生年がわからないのだから、100年以上昔の洗礼簿から該当を見つけることなど、僥倖が作用しなければまるで無理であろう。

 4,715人のドイツ兵について、それぞれこのチェックをしなければ、正しい比定が出来たのかどうか、検証したことにはならない。しかしそれは、実際問題として不可能であろう。そうなると、2,632か所のHeimatsortを現代の地図上にプロットしてみたところで、それが本当に正しいのかどうかは厳密には「不明」と言わざるを得ないのである。

 

 そんな限界を含んだものであるが、シュミット氏の協力も得て、一応比定作業を終えることが出来た。本来であればそれを本誌に掲載できればよいのだが、延々103頁にも及んでしまうことがわかった。貴重な紙面をそんなに独占してしまうことは、慎まなければならない。そこで本稿では、比定表の冒頭を見本として示すにとどめ、データはインターネット上に掲載することとしたい。ごくありふれた表ソフトであるExcelにまとめたデータを、本誌の公認私設サイトとも言うべき「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」ホームページに、次のURLで掲載していただいた。

http://homepage3.nifty.com/akagaki/hoshichimei.htm

このような変則な形での発表をする利点として、そもそも上記のような、検証不能という限界を含んだ、ある種のいい加減さが残るデータであること。それにも関わらず、表ソフト上であれば今後の訂正が容易であること。また、現在の国名や地名で寄せてみたり、俘虜の氏や俘虜番号による検索といったことが、表ソフト上であれば紙の表よりもはるかに容易になることを挙げておきたい。

仔細に検討していくと、「久留米にいたAと名古屋のBは、同じ町の出身だったのか」といった発見があるはずである。久留米の新史料を求めてある町に赴いたら、Bの子孫の家から名古屋の史料が出てきた、などという可能性もある訳である。また例えば、近々マクデブルクに旅行することになった、あるいはデュッセルドルフから客人が来ることになったという場合、マクデブルク出身で習志野に収容された者は何人いる、デュッセルドルフから青野原にこういう人が収容されていた、といったデータはこの表で容易に得られるはずである。こうしたことから、この比定表によって新史料の発見、あるいはこの比定表自体の訂正といったことが次第に可能になるのではないかと、ひそかに期待しているところではある。

 この比定作業をしてみて気になったのは、国境とか国籍というものの不思議さである。アルザス・ロレーヌに帰ったドイツ兵の子孫は、今でもフランス人として暮らしているのかも知れない。ポーランドとなった故郷に帰った捕虜は、ポーランド人になったのか、それとも居住資格を持ったドイツ人として暮らしたのか。さらにその後、歴史の荒波はヒトラーのポーランド攻撃、返す刀でソ連軍のベルリンへの進撃と、容赦なくこの地域を襲った。ご存知のように、スターリンに押されてポーランドそのものが、ぐっと西に動いたのである。インターネットで探っていると、「ポンメルンにあった元の村は戦火で消滅したが、書記が帳簿を抱えて命からがら西へ脱出したので、住民記録だけは現在もドイツの公文書館にある」などというケースもあるらしい。こんな中で、日本から帰国した元捕虜やその子孫は、その後どんな運命をたどったのだろうか。出自がユダヤ系、という者もあったであろう。比定された地名の中には、オシフィェンチムOswienzimかのアウシュヴィッツ収容所の作られた町。習志野にいた俘虜番号3392Peter Harmataが該当)などという名も見えている。

 また、興味が持たれるのは、現在のポーランド人が日本のドイツ捕虜史をどう見るのかということである。かつてこの村にいた「先住民」の話であって、現在の村とは何の関係もないことと見るのか。それとも、その村と日本とのかすかな“えにし”と感じてくれるのか。チャンスがあれば、一度聞いてみたいものである。

 ロシアからフランス、デンマークからイタリアまで膨れ上がった地名を見ながら、ふとそんな思いにさせられるのである。

 不出来な表ではあるが、少しでもご参考になれば幸いである。

 

比定表について: 本稿では見本として、比定表の冒頭部分を提示したが、実際にホームページ上から表をダウンロードして使われる場合に備えて、若干の注記をしておきたい。

  比定された土地を特定するのに、今回はPLZ(郵便番号)を入れてみた。ドイツの地図サイト(例えばhttp://www.stadtplandienst.de/home.asp)で場所を調べる場合の便宜を考えたものである。但し、数村で1つのPLZを持っている場合、逆に大都市でいくつものPLZがある場合などがある。あくまでも緯度・経度の代用品ぐらいに考えていただきたい。

  ポーランドなど外国になっている場所については、世界地図の検索サイト(例えばhttp://www.fallingrain.com/world/index.html)が便利であろう。

  なお、電話番号検索サイト(例えばhttp://www.telefonbuch.de/)で、該当の町に同姓の世帯が何軒いるか、といった調査も出来る。もとよりそれが俘虜の子孫だと即断する訳にはいかないが、田舎であればその可能性も大きいかも知れない。

集計: 今回の比定表の全体像を集計として示せば、次のとおりである。

現国名

習志野

名古屋

青野ヶ原

板東

似ノ島

久留米

不明他

B

ベルリン

140

21

11

10

39

17

39

3

BB

ブランデンブルク

83

21

4

7

17

13

21

 

BW

バーデン

=ヴュルテンベルク

296

58

45

11

57

38

83

4

BY

バイエルン

182

31

25

8

44

27

46

1

HB

ブレーメン

80

15

8

7

29

7

13

1

HE

ヘッセン

215

47

33

7

45

19

64

 

HH

ハンブルク

223

37

24

17

77

24

42

2

MV

メクレンブルク

=フォアポンメルン

63

15

3

6

16

8

15

 

NI

ニーダーザクセン

301

66

24

16

75

34

82

4

NRW

ノルトライン

=ヴェストファーレン

696

131

89

30

152

79

212

3

RP

ラインラント=プファルツ

174

31

28

10

48

18

39

 

S

ザクセン

232

42

26

14

69

26

53

2

SA

ザクセン=アンハルト

216

40

34

19

41

35

46

1

SH

シュレスヴィッヒ

=ホルシュタイン

163

44

7

11

45

20

36

 

SL

ザールラント

68

18

3

4

10

7

25

1

TH

テューリンゲン

236

41

32

15

51

33

64

 

(16州の小計)

3368

658

396

192

815

405

880

22

アメリカ

1

 

 

1

 

 

 

 

アルゼンチン

1

 

 

 

1

 

 

 

イタリア

9

2

 

3

4

 

 

 

ウクライナ

3

 

 

2

 

 

1

 

エジプト

1

 

 

 

 

 

 

1

オーストリア

48

6

 

38

 

3

 

1

オランダ

5

 

 

 

2

1

2

 

クロアチア

58

7

 

43

7

 

 

1

スイス

5

1

2

 

1

 

1

 

スロヴァキア

8

3

 

4

 

1

 

 

スロヴェニア

10

2

 

7

1

 

 

 

セルビア・モンテネグロ

5

2

 

3

 

 

 

 

チェコ

42

6

 

32

1

1

2

 

デンマーク

19

2

 

2

5

3

7

 

ハンガリー

30

5

 

24

 

1

 

 

ブラジル

1

 

 

 

 

 

1

 

フランス

157

111

12

1

7

5

12

9

ベルギー

11

2

1

 

4

1

3

 

ポーランド

605

131

71

41

125

82

149

6

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

3

 

 

3

 

 

 

 

ミクロネシア

3

3

 

 

 

 

 

 

リトアニア

10

4

 

 

1

2

3

 

ルーマニア

7

 

 

7

 

 

 

 

ルクセンブルク

1

1

 

 

 

 

 

 

ロシア

60

15

8

5

11

8

12

1

中国

54

12

10

6

14

4

7

1

日本

4

 

 

1

3

 

 

 

調査中

183

38

8

77

18

14

27

1

不明

3

 

 

 

 

1

 

2

合  計

4715

1011

508

492

1020

532

1107

45

「不明他」45名の内訳 死亡(青島 7、福岡・大分・大阪 各2、静岡・丸亀・松山・熊本 各1)、最終収容所不明: 28

本文に述べたように、いい加減さを含んだままのデータを集計したものであるから、この集計表自体、決して有意なものとは言えないが、大雑把な傾向は読み取れるのではないだろうか。