徳島フォーラム(2006年8月26日)
高橋輝和(岡山大学)
松江豊寿所長に関するドイツ側の証言
1.本当に好意的で、とても公平な松江収容所長の許可を得て、我々は収容所の外部に運動場を設けることができた。(クロイツァー)
2.松江大佐はそれ故に、俘虜らが調理場とパン製造所のために必要な薪を森で切ることによって俘虜自らが自分達の状況の改善に寄与し得ることを提案した。この日本人将校は俘虜らの利害を大いに心配したので、『ディ・バラッケ』の中で何度も称賛の言葉をもって言及されている。高位の正装を身につけた彼を示す1枚の記念写真も私の父のアルバムの中にある。(メラー)
3.日本の収容所司令官、松江大佐の太っ腹と支援のお陰で展覧会は収容所の近隣のみならず、それを越えて日本の他の地方にも知られた。(メラー)
4.松江大佐は、収容内で色々な工作を行える小屋を建てることにも配慮した。(メラー)
5.原材料の買い付け資金が立て替え金として与えられた。(メラー)
6.空気銃のある、本当の射撃小屋が言及されているのには大変驚嘆させられた。俘虜らに射撃が許されていたことを、私はあり得るとは思いもしなかっただろう。(メラー)
7.我々の収容所長は、既に以前に1度記したように、とても良い人だったが、彼はこの催しで自らの政府より極めて高く称賛された。(クロイツァー)
8.晩の公演が終わる度に舞台の上では、日本の収容所長と数名の将校も出席して、大宴会があった。特別な許可として出演者全員に客演の終了後ある有名な寺院―この寺院の名前を私は残念なことに忘れてしまった―への数日間の行楽が催された。(クロイツァー)
9.彼らは徳島にある小さなカトリック教会のスペイン人司祭の陳情に基づいて教会の内部を修復することが許された。(メラー)
10.日本人司令官がその参謀部の将校3名と共に式典に参加した時には、人々は心地よく感じた。(メラー)
11.我々の板東収容所は―我々は最良の収容所長を持っていた故に最も恵まれていたので―ドイツ参謀部の意見によれば、傭船された5隻の輸送船の最後のもので帰途に就くこととされた。これに対して日本の陸軍省は、我々の収容所の管理が良好だったので、最初に輸送されるものと決定し、残りの収容所は4週間の期間内に後続することとした。(クロイツァー)
12.衛兵達によるいかなる種類の暴力行為も許容しなかった,人道的な立場の松江収容所長の影響下で俘虜達の取り扱いは非の打ち所がなかった。(リューファー/ルンガス)
以上