封筒の宛名
 
 日本国 東京 赤坂表町3丁目
 ラントグラーフ様
 
 
Paul Engel より Landgraf 宛の書簡
 
板東にて、1919年10月1日
 
恭敬 ラントグラーフ様
 まず、大連での私の雇用の件に関してご尽力いただいたことに、衷心より感謝申し上げます。残念ながら本日、関係事務所より、南満州鉄道会社が私の採用を見合わせる旨の知らせを受け取りました。もし採用されることになっていたとすれば、どんなに嬉しく思ったことでしょう。不採用の理由は何だったのだろうか。そのような疑問を抱いておりますので、私は敢えて、私自身について少し詳しく報告いたしたく存じます。私は優れた音楽教育を受け、名のあるオーケストラでのみ音楽活動をして参りました。俘虜生活が始まり、最初は3名で活動を始めましたが、現在は45名の楽団員を抱えております。全員が素人です。2週間後に私は、オーケストラをバックにベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトと、ベートーヴェンの第六交響曲を演奏することになっております。去年私は徳川公の前で、私のオーケストラと一緒に協演いたしましたが、その演奏の後、彼が私に個人的に話しかけてくれまして、オーケストラと私の演奏を褒めてくださいました。更に私は丸亀と撫養(むや)から、私の業績に関して、感謝の言葉を縫った刺繍をいただいておりますし、また今月の8日には3日間の予定で再度徳島に出掛け、そこでコンサートを開くことになっております。私は確信しております――私を採用する気でいた人たちが、もし私の演奏を聴いてくださっていたならば、私を雇ってくれたであろうことを。ところで、ラントグラーフ様、ひょっとして東京で職を得る可能性はございませんでしょうか。この件につきまして、再度ご尽力いただければ、非常に有難く存じます。もしそれが不可能であれば、私は妻と一緒にドイツに帰らなければならないことになります。私のためにお骨折りいただきましたことに対して、最後にもう一度心より感謝申し上げます。
               頓首
                  パウル・エンゲル
 
ひょっとするとクローン教授に、東京での私の職について何かお世話いただけるのではないでしょうか
 
 
 訳者注: 
 
 手紙の受取人ラントグラーフは、大沼氏の教示によれば、「多分、ティッセンクルップ(一大製鉄コンツェルン)の日本代表」のWilhelm Landgrafである可能性が高いとのこと。以下のHPに彼に関する言及がある。
 
 http://www.thyssenkrupp.com/de/presse/japan_geschichte.html
 
 "Nach dem Ersten Weltkrieg werden die Wirtschaftsbeziehungen zügig wieder aufgenommen. 1921 eröffnet Wilhelm Landgraf, der die Interessen der Krupp-Werke vertritt, ein Büro in Tokio."
 
 編集者の訳: 「第一次世界大戦後に(日本との)経済関係は直ちに再開された。1921年にクルップの日本代表ヴィルヘルム・ラントグラーフは東京にオフィスを開設した。」
 
 以下は大沼氏のコメント。「第一次世界大戦中の日本にいたのか、あるいは戦後すぐ日本に渡来して1921年に支店を開いて代表になったのではないでしょうか。エンゲルの手紙は1919年10月ですからその時すでにランドグラーフ氏は赤坂に居住していたことになります。」
 
 また、「クローン教授」については以下のHPに言及されている上野音楽学校教師「グスターヴ・クローン教授」ではないかと推察される。この記事によればクローンは、一九一八年十月二十七日南葵楽堂の開堂式において、東京音楽学校職員生徒とこれに海軍軍楽隊が加わった混成管絃楽団およそ八十名よりなるオーケストラの指揮をしている。
 
 http://www.chohoji.or.jp/tokugawa/raitei_gakudou.htm
 
 またクローンは「芥川龍之介の聞いた音楽会」という以下のホームページにも登場しています。
 
 http://home.p05.itscom.net/akioka/BunshoAkutagawa.htm
 
 以下、上記HPよりの引用:
 翌十一月も、芥川は西洋人アーティストの演奏会に積極的に出かけている。まず十一月二十七日には、帝国劇場でおこなわれた東京フィルハーモニー会第十二回演奏会に出かけた。この日の演奏会は、「閑院宮同妃両殿下には姫宮殿下御同伴にて台臨あり聴衆一同の敬礼裡に貴賓席に御着席」(『読売新聞』同年十一月二十八日)とあるように格式ばった演奏会であり、東京音楽学校にユンケルの後任として着任したクローンGustav Kron(ヴァイオリン・指揮、一八七四〜?)がオーケストラを指揮してヴァーグナーの《ローエングリン第三幕への前奏曲》を演奏したほか、クローンのヴァイオリン独奏も行なわれた。芥川はこのクローンのヴァイオリン独奏が気に入ったようで、井川恭あての十二月三日の書簡に「クローンのバツハが一番よかつた」と記している。