ドイツ兵俘虜をめぐる略年表
 
この年表は瀬戸武彦先生(高知大学教授)作成のものから小阪が抜粋いたしました。
 
1897年(明治30年)
111日 山東省曹州府鉅野県の張家荘で、ドイツ人宣教師二名殺害される。
1114日 ドイツ東アジア艦隊の艦船三隻が青島沖に現れ、青島を無血占領する。(当時の青島は、戸数約400の漁村で、清国守備兵は約2000名といわれる。)
1898年(明治31年)
36日 独清条約締結
1904年(明治37年)
611日 山東鉄道の開通式が執り行われる。
1912年(明治45年、大正元年)
11日 中華民国成立する。
1914年(大正3年)
628日 オーストリア帝国皇太子フランツ・フェルディナント夫妻、ボスニアでセルビアの一青年によって暗殺され、
728 第一次世界大戦勃発する。
823日 日独国交断絶し、ドイツに宣戦布告する
92日 日本軍、山東半島黄海側の港町龍口に上陸する。
106日 久留米俘虜収容所開設される。
117日 マイアー=ヴァルデック総督、日本軍に降伏して青島を明け渡す。
1111日 東京、名古屋、大阪、姫路、丸亀、松山、福岡、熊本に俘虜収容所開設される。青島近郊労山湾の沙子口より、俘虜の日本への移送が始まる
123日 静岡、徳島、大分に俘虜収容所開設される。
12月  12月末までに、青島から約4400名の独軍俘虜(ドイツ及びオーストリア=ハンガリーの将兵)が日本に移送され、12ヶ所の収容所に収容される。その後も俘虜移送があり、青島からの移送俘虜数は4688名となる。その他南洋群島等からの俘虜を合わせて、最終的には4697名が俘虜として収容される。
1915年(大正4年)
4月   徳島俘虜収容所において、俘虜による新聞『徳島新報』(週刊)第1号が発行される
1916年(大正5年)
719日 松山俘虜収容所で、俘虜による新聞『陣営の火』(週刊)第1号が発行される(19177月発行停止になる)。
1917年(大正6年)
49日 徳島、松山、丸亀の各収容所閉鎖され、板東俘虜収容所開設される。
930日 板東俘虜収容所で俘虜による新聞『ディ・バラッケ』(週刊)第1号発行される(最終巻は19199月号)。
1918年(大正7年)
61日 板東俘虜収容所内でH.ハンゼン指揮により、ベートーヴェンの『第九』が演奏される。
秋    流行性感冒(スペイン風邪)が世界中で猛威を振るい始める(翌年の春まで)。
1111日 休戦条約締結される。
1919年(大正8年)
628日 ヴェルサイユ講和条約締結により、青島のドイツ国有財産は、日本に譲渡されることになる。
123日 久留米高等女学校講堂で女学生達を聴衆として、久留米収容所俘虜によるベートーヴェン『第九』の第2、第3楽章が演奏される。
1225日 この日より翌年の128日にかけて俘虜の本国送還が行われる。
1920年(大正9年)
110日 ヴェルサイユ条約発効する。
41日 習志野、名古屋、青野原、似島、板東、久留米の各俘虜収容所閉鎖される。