趣旨説明
 
 2005年と2006年には「日本におけるドイツ年」として日本各地で多彩な企画が実施された。その中で特に一般人のみならず専門家の注目を浴びたのは、2005年にドイツ東洋文化研究協会(OAG)が東京のドイツ文化会館で開催した企画展「日本におけるドイツ人捕虜1914年−1920年」と2006年に各地の映画館で上映された東映系の「バルトの楽園(がくえん)」であった。これらの催し物によって、第1次世界大戦時の日本の各地(東京、習志野、静岡、名古屋、大阪、姫路、青野原、似島、松山、丸亀、徳島、板東、福岡、久留米、熊本、大分)に約4,400名ものドイツ兵(これに300名ほどのオーストリア・ハンガリー兵が加わる)が捕虜として収容されていたという歴史的な事実そのものが広く再認識されることになったのは幸いであったが、在日ドイツ兵捕虜とその収容所の世界史的な意味、とりわけ日独文化交流史上の重要性は、一般人はもとより日独交流史の専門家にも未だに十分理解されているとは言い難い状況である。
 本シンポジウムの発表者達がこれまで個別に行って来た研究の成果を総合すると、ドイツ兵捕虜の先進的な技術を利用したいと考えた日本側の期待によく応えて、彼らが行った所外労働や技術指導と製作品展覧会が当時はまだ発展途上国であった日本の農業、牧畜業、手工業、機械工業やスポーツ、音楽の振興に大いに貢献し、さらには終戦・解放後も多くの元捕虜が日本に残って産業界や教育界において活躍した結果として、ドイツの文化と技術に対する一般日本人の肯定的な観念がこの時代に一挙に固まり、日本全国に広まって行ったと考えられる。
 その際にドイツ兵捕虜の動向を頻繁に報道した、当時の最も身近なマスメディアとしての新聞が果たした役割にも大きなものがあったに違いない。
他方、多くのドイツ兵捕虜あるいは元捕虜によって日本の文化や歴史の理解と紹介も熱心になされて、その後の今日まで続くドイツ人の日本観の形成に大いに寄与したと思われる。
 本シンポジウムでは各収容所の研究者が一堂に会して、各収容所やドイツ兵捕虜個人の日独文化交流に関わる活動とその日独双方での反響や評価を総合的に検証する。シンポジウムは2部から構成されていて、第1部は日本独文学会主催で「中国四国内の収容所を中心に」報告・討論され、第2部は岡山大学大学院社会文化科学研究科主催で「中国四国外の収容所を中心に」報告・討論される。2部とも日本語を使用して一般に公開される。