<収容所の図書みつかる>

 
新年早々(1月9日)名古屋市鶴舞中央図書館の知人から、「探してみえた俘虜収容所の本がみつかりました。図書館の未整理資料の中にありました」という電話がありました。
□探したがなかった
 
青島戦の俘虜収容所の図書の行方は、金沢大学や山形大学などの先生方によって詳細なレポートが発表されています。一方名古屋の場合は、これまで俘虜が帰国する際、「お礼の意味で名古屋市の図書館へ400冊と、飼育していたカシ鳥を動物園に寄贈した」と報じている記事(「新愛知 」大症8年12月10日)があるので.その図書の行方を数年間機会あるごとに関係者の手も借りて調査していたが、その実物は確認できなかった。探してくれた関係者は、この図書館のOBや現役の職員4人はいました。いずれも「なかった」という回答でした。
□2年前に発見とか
 
実は発見したのは「ほぼ2年前の2008年の春頃だった」という証言は現場で複数の職員からききました。「何故今頃知らせてくれたのか?」という質問には、「図書館として蔵書の整理作業が終わっていなかったので」という返事でした。「未整理のまま公表はできないから」ということだった。「まとまって例えば『俘虜収容所残存蔵書』という名称をつけて図書館業務の整理はできない。分類すれば、各冊がバラバラの書架に散在してしまう。これでは意味がない。といって例えば「誰々先生寄贈文庫」とかいう「文庫名」は、この図書館では設置しないので」という説明でした。
注:(発見後通知が遅延した理由は、上記の理由だけではわからない。この理由だと、1年前でも1年後でも同じ状況であるから。今通知というか公表するに至ったキッカケは他にあるらしい。想像はつくが、ここでは省略します。)

□あとの蔵書は行方不明
 
冨田先生の著書には、「収容所に3,450冊の書籍があった」との記述があるし、大正8年6月の俘虜製作品展覧会で配布されたパンフレットにも同冊数の所蔵が記述されている。今回知らせて貰った残存蔵書は、約40冊であるので、当時の新聞報道の「図書館への寄贈冊数は400冊」からははるかに少ない。 帰国時に収容所の蔵書が各方面に分散した話はある。それは俘虜が船中での読書用に持参したとか、在日のドイツ系の団体へ寄贈したとかの他、旧制高校や近くの図書館に寄贈したことなどがいわれている。名古屋の場合は、旧制八高へ323冊と市立鶴舞図書館へ400冊の寄贈は記録でははっきりしている。八高の後身、名大図書館にきくと答えは「見当たらない」、OBにきくと「そういう本の記憶はない」という返事である。八高は戦災で焼けているし何回も移転を繰り返しているので、焼失したり移転の都度廃棄されたりしていることは考えられる。またその間の八高や名大の教官や図書館の関係者によって「保存の価値なし」と判断されたことも考えられないこともない。 当時の蔵書数の約3,800冊から現存する40冊をひいた約3、760冊はどうなったのか。帰国時の俘虜の「みやげ」になり、また在日の諸機関や団体に寄贈されたのか。その行方はまったくわからない。 しかし1冊でも「俘虜収容所」のゴム印が押された蔵書の発見の知らせは嬉しい。新年の吉報というか、朗報というか。感謝もしている。約40冊の整理、つまり40冊の書誌事項の作業をボランティアで依頼されたので、時間をみてボツボツこれから始めるところである。その約40冊は、一見したところ日本の文庫本か新書版位の大きさで、シリーズの文学書のようにみえる。たしかなことは、これからの「お楽しみ」である。素人目ではあるが、内容や質的にはあまり期待するようなものではないと推察している。
□市政資料館で保存する案
 
また図書館の蔵書としては保存できないので、今後は『名古屋俘虜収容所業務報告』や写真などを保存管理している「名古屋市市政資料館」に寄贈物件の一つとして一緒に保存を依頼してみてはどうかと提案してみた。担当の図書館の職員も同意し、「これからトップに相談してみる」ということになっている。

続報は後日に。