10. 三木成夫先生の思い出
 
犬塚 則久
 
 はじめて三木先生にお会いしたのは、ちょうど十年まえの春でした。私は脊椎動物の化石を研究していますが、おなじ古生物学者の鶴見大学の後藤さんが、ふとしたことがきっかけで、医科歯科大学当時の三木先生の講義を聞き、すっかり先生のファンになったのがそもそもの始まりです。三木先生の生物学は、化石屋にとってすごくためになる、と聞いて、聴講生として一年間上野にかようことになったのです。
 先生の生物学をひとことでいえば、生物哲学といってよいかと思います。これは、前世紀に隆盛をきわめ、現代の生物学では、非科学的なもの、あるいは、わからないものとして、おき忘れてきた生物のすがた・かたちやあり方なぞの解明をめざしたものです。このために先生は、らせん理論・極性論・原型と変容・生のリズム論などを私たちに説いて下さいました。
 とくに印象に残ったのは、ニュージーランド沖でひき上げられたネッシーを例に、認識における直感の重要性を説かれたことです。すなわち、あの動物の正体を突きとめるのに、大学の研究者はひれの線維を化学分析にかけて、いまの動物とくらべてから、やっと答をだします。いっぽう、いつもサメを扱っているカマボコ業者は、ひと目その写真をみるなり、正体をいい当てた、というのです。感性の鋭い先生は、この直感的認識が大のお気に入りでした。五年前に小著の書評を書いて下さったことがありましたが、このなかにも直感のことがでてきて、うれしさと照れくささが混じったような印象をうけたものです。
 三木先生には、東大医学部の解剖学の特別講義にも毎年来ていただきました。話術の巧みな先生の講義は学生に大人気でしたし、私も毎年聴くのが楽しみで、スライド係をつとめました。ある時は、講義用のプリントづくりのお手伝いをさせていただいたこともあります。それは、腸管の動脈の比較解剖で、爬虫類のなかにいろいろなパターンが現れるのです。先生は電話で、ボルクの教科書の何ページと何ページのどの図を使って、一枚のプリントにまとめるよう指示されました。こうして先生の講義の準備のご苦労の一端を知ることができました。
 一九八六年の秋になって、たまたま芸大の非常勤講師をおおせつかりました。美術解剖学教室の大学院生向けの骨学・筋学の担当です。芸大にいけば、三木先生にお会いできると思って楽しみにしていましたが、私の講義がある木曜日は先生がお休みの日で、なかなかチャンスがありませんでした。ようやく、翌八七年の春になって、先生のお部屋にご挨拶にうかがうことができましたが、これが先生とのお別れになるとは知る由もありませんでした。
 芸大の保健センターにある研究室をたずねると、それこそ旧知の親友を迎えるように、あの目でじいっと目の奥を見つめ、両手で握手して下さいました。力強いあたたかい手でした。この時ほど先生と長時間お話したことはありません。それこそ話題はつきませんでしたが、先生の最大の関心事は、地球の南北の極性でした。私が理学部の地質出身であることをご存じの先生は、大陸が移動する前の超大陸の場所や赤道の位置について、こと細かに質問されました。先生の目は、肉眼レベルの生物にかぎらず、二重らせんの極微の世界から、銀河の渦にまでおよんでいたのです。
 いま私は、美術解剖学教室とのご縁で、かつて三木先生が担当されていた一般教養の生物学を担当しています。先生の造詣の深かった比較解剖学や系統発生などの見方を通じて、少しでもかたちのなぞにせまろうというものです。この『生命の形態学』を追求することが、先生のご恩に報いる道だと思っています。
 
(古生物学・東京大学医学部解剖学教室)