□ 陸軍幼年学校生徒とドイツ語学習


名古屋陸軍幼年学校では独語と露語が必須科目だった。生徒の希望とは

無関係にどちらかに決められていた。下記はドイツ語を履修した卒業生の

友人についての回顧談である。『陸幼史』216頁に出ている話(要旨):

 「同級生にひとりドイツ語が大変優秀でかつ語学が好きな生徒がいた。

彼は休日には俘虜収容所や俘虜が入院している陸軍病院へ通って、そこで

本物のドイツ語を習得していた」と書いてある。

名古屋俘虜収容所について知らなかった裏話として興味深く読んだ。名古

屋では工業技術の特種技能の伝授とは別に、日本人の語学習得にも俘虜は

「一役買っていた」ということがわかった。彼は任官後東京外語のドイツ語

科委託生になり、またドイツ大使館付武官補佐官になって8年間ドイツに滞

在して講演などで大活躍した。

将来日本軍の将校の卵が収容所を訪れることを許可した幼年学校にも敬服す

るが、一方のドイツ兵俘虜に会わせた収容所所長や衛戌病院の病院長などの

度量の広さや物分りのよさに敬意を表したい気持ちである。

そんな風景を想像するだけでも楽しい。ドイツ語練習の相手になってくれた

俘虜は誰だったのか。聞いてみたい気持ちになる。またどういう経緯でこう

いう心温まる出遭いが出来たのか。その内幕も知りたい。