シベリア抑留と青島戦ドイツ兵俘虜との比較

  第二次世界大戦当時、ロシア軍の俘虜になったドイツ兵はどうだったのか。どうも日本軍の俘虜とはかなり違った抑留生活だったようである。しかも青島戦の俘虜とよく似た振舞をしていたことを知って興味をもっている。 図書は『シベリア捕虜収容所』(若槻泰雄著 明石書店 一九九九年)である。ドイツ兵俘虜は文化活動に熱心だったことも、自尊心や自律性の高さも青島戦の俘虜の場合とよく似ていることが印象深い。少し長いが紹介すると、

「文化活動は各種の勉強会、講演会、演劇、音楽などにわたり、これらは貧しい食事、きびしい労働、そして苛酷な日常生活を忘れさせ、人びとの精神のよりどころとなったという。読書は収容所に備わっている図書室が利用され、・・・ドイツ人作家で最も読まれたのはハイネで、ゲーテ、シラー、・・・など、ドイツ古典派が人気があった。若い捕虜は、特に熱心に勉強した。彼らの勉強に対する熱意は『想像もできないほど高かった。生れて初めてベートヴェンの音楽をひき(手製の楽器で)、ゲーテやシエークスピアの作品に接する者も多かった』と報告されている。」(同書224~225頁)                               

  そして人間としての主体性や自律性の高さ、自信と誇りや尊厳の自覚についても注目したい記述がある。

  「ドイツ兵たちは、何よりも卑屈になっていなかった。彼らは集団の場合はもとより、各国人種の交る収容所に一人、二人しかいない場合でも、主張すべきことはどこまでも主張し、ロシア人に媚態を呈するような者は一人も見かけなかった。労働も無理だと思うものは決して従わず、なぐられてもけられても、その要求に応じようとせず、無言で抵抗した。」(同書225頁)

  著者は紹介する事例は、全体ではなくその一部かも知れないとは断っているが、少なくとも少数派ではなく多数派だという記述に読める。青島戦の俘虜の様子とよく似た情景を知って興味深い。ドイツの教育や伝統の力に思い至る。それにつけても日本軍のシベリア抑留の悲惨極まる実態証言との間の大きな開きに驚かざるをえない。そして日本軍隊における「俘虜に関する基礎教育」の欠落が悔やまれる。

 

たまたま地元で帰国したシベリア抑留者の報告会があったので聞きにいった。会が終わった後、報告者の一人に「ドイツ兵の俘虜はどうだったのか?」ときいてみたら、「連中は働かずに外へ出なかった」とだけ答えてくれた。日本兵の残酷な体験とは遠く離れた話に驚いた次第である。他の報告者にもきくと、あるいはまた別の答えがえられたかもしれないが、以来この話は頭に残っていた。