12. 三木成夫先生から学んだこと
                偲ばれること
 
小沢幸重
 
 私は三木先生の足のつま先をかすった程度ですが、それでも三木成夫先生に学ばせて頂いた事は公私にわたって数えれば切りがないほどあり、思い出もその一挙手一投足に至るまで実にたくさん偲ばれます。現在の私の研究テーマ、研究の思考、教育の姿勢に与えていただいた影響は大きく、思い出とともにその二三について書かせていただきたいと思います。
 三木先生と初めてお会いしたのは、化石研究会で講演をされている時です。生命の起源から、原型、『おもかげ』の話をされました。そのうち、ご自身の血管注入の実験の話の下りで、お子様誕生のおりには実験の報いで心臓に欠陥のある子が生まれるのではないかと緊張したと、例の独特の口調でおっしゃられたのが特に印象に残っています。うまく表現できませんが、冗談も先生の口調に掛かっては真剣な話と区別できないぐらい熱が入って聞いてしまいます。ちょうどそのころ新婚だった事もあって、年賀に上福岡の先生のお宅に家内と伺いました。そのときの話題は、恐竜の『おもかげ』と、先生の人生観の事でした。自然の中に住むことを思い立たれ、先生が奥様とともに、上のお子様の手を引かれ、下のお子様を背負われて山のうえまで家を下見に行かれた話でした。何とそこは、西武線の奥で自家発電をし、生活物資を自分で山頂まで運ばねばならず、持ち主の方に貴方が住めるところではない、と諭されて止めたとのことでした。しかし、住もうと決心された場所とのことで、たいへん残念そうな話ぶりでした。都会育ちの家内もその影響を受けその後しばらく、北海道の原野を開拓する夢をみていたようです。
 『おもかげ』の話でいつも私に話された事は、井尻正二先生との出会いのことでした。東京医科歯科大学の解剖学教室で先生が注入の実験をされていたおり、クロマニヨン人の『おもかげ』と言うより『そのもの』が廊下を歩いていた、とのことです。井尻先生に注入標本をお見せすると『きみこれだよ』の一言、それで総て悟った、これで二人の運命が決まった、と。芸大に三木先生をお訪ねすると、『昨夜、井尻先生に電話をすると、先生は酔われているみたいで、俺に絡んできたよ。』『そうか、井尻先生はこれが普通なのか、これでやっと自分も身近な一人になったんだなあ』と、感慨深げでした。総合看護への連載が乗ってきたとき『いつ本になるんだ』と真っ先に井尻先生から電話が掛かってきたと、嬉しそうに話されていました。私も『胎児の世界』は、学生にも紹介し、使わせて頂いていますが、解剖学の完結が成らなかったのは残念でなりません。
 三木先生と井尻先生はものの見方が違うようですが、私にとっては非常に共通点があるように考えています。その一つは、三木先生の『極性』と井尻先生の『対立物』です。私の専攻の歯胚における上皮と間葉、エナメル芽細胞と象牙芽細胞の相互の関与によるエナメル質、象牙質の形成とその進化機構の仕事にこの考えを役立たせていただいております。エナメル小柱の形態、配列、走行は、哺乳類の種類によって特徴がありますが、その仕事をおみせしたおり、小柱が螺旋に並んでいることに感心され、ここに注目して仕事を進めるようにご忠告をいただきました。エナメル芽細胞の粗面小胞体の配列もより進化した、特殊化した歯の種類ほど螺旋であるものが認められるようです。その後、ライデンの自然史博物館に近くの公園で、覆い繁った全部の木の総ての枝が幹を取り囲むように渦巻いているのを見付け、はいつくばって写真を撮り、先生に送りました。しばらくして、『あの写真にゾッとしたよ。』とお電話を頂きました。本に載せたいのでもっと良い写真が欲しいとのことでしたが、約束を果たせずに終わってしまいました。レニングラードに行く折にはわざわざ電話をいただき、マンモスの牙の螺旋に是非注意して見てくるようにご忠告を受けました。マンモスの牙の競り市の写真をお見せすると、とても喜ばれていたのが記憶に甦ってまいります。
 以上雑然といたしておりますが、あれもこれも三木先生との新鮮な思い出が次から次へと浮かんでまいります。人間的魅力にあふれ、比類なき科学者であった三木先生に出会った幸運をかみしめております。
 しかし何といっても先生の最大の普遍的な価値は、天性の教育者としてのものだったと思われます。先日あるビアホールで、三木先生に教えていただいたという芸大のアルバイトの歌い手さんと出会い、先生の話に花が咲きました。その幅の広いお弟子の数。そして私共の教室でも年に何回かは三木先生の話が出ます。誰に対しても率直に感動を与え、植え付けることのできる先生の姿、ただ単に面白く話をするのではなく、そこに感動があります。これこそ教育者の原点と思えるからです。少しでも先生の領域にちかづけるよう努力していきたいと考えております。
合掌
(歯の比較解剖学 日本大学松戸歯学部 解剖学教室)