15. 三木先生と古代魚
 
小寺春人
 
 冷凍保存されていたシーラカンスの解体調査がおこなわれたとき、部屋の隅に三木先生がいらした。「ぼくは、シーラカンスのニオイを嗅いでおきたいんだよ」とおっしゃって、腹を裂いたシーラカンスに近づかれた。「やっぱりこれは魚ではない、アンフィビアのニオイだよ」と深くうなずかれたのであった。私もいそいで鼻をふくらませて大きく息を吸ったが、さしたるニオイは感じなかったものの、ともかく「そうですね」と言った。それまで、シーラカンスを前にどこを解剖すればおもしろい成果がでるだろうと、下種な思いにとらわれていた私は呆然としてしまった。
 三木先生はヒトの直系祖先を求められ、なにより古代魚をこよなく愛されていたと思う。ポリプテルスや肺魚を解剖され、その幼生を育てようとされていた。私にとっては、これらの魚は奇妙な変わりものの魚としかみえないのであったが、三木先生はこの古代の生き残りの魚に、はっきりと古生代そのものをみておられた。勿論それは内臓の静脈系であり、髄膜の構造や顔面のフォルムである。しかし、それは単なる形態ではなく形態の窓から古生代の風景をまのあたりにされているのであるから、私としては雑然とした研究室のその場に完全にとり残されていたのであった。
 三木先生が東京医科歯科大学を辞められた最後の年の実習講義を何度かもぐりで聞く機会があった。私にはその内容がほとんどちんぷんかんぷんであったにもかかわらず、強烈に引きつけられるものがあった。人体の体壁の原型はまさしく古代魚のそれであり、頭部から頸部のもろもろの構造は鰓弓に帰せられるという。もはや人体解剖は、そこに横たわっている人体そのものに止まらず、3億5千万年間の脊椎動物の歴史を遡る行程となる。個々の構造を剖出することが、あたかも古代魚の化石を母岩から剖出しているかのような錯覚におちいる。化石の剖出の際、母岩を取除いた瞬間にあやしい光沢をもった骨片が、古代の眠りから覚めて顔を出したと同じように、人体の中に積重ねられた過去の構造を剖出したとき、その輝きに感動せずにはおれない。
 このように三木先生の解剖実習は、実習室を古生代の世界へと変えてしまうのであった。まさに三木先生は現代のシャーマンであったといえよう。
 三木先生はご自身がある会で、歴史的な偉業を成した人は、その人物が生きていようが過去の人であろうが、すでに自分の心の中では時間を越えた存在に変わりがない、とおっしゃった。いま三木先生にこれと同じ気持ちをいだくほかない。いまも古代魚をみるとき、三木先生の魂の躍動を感ぜずにはおれない。
 
(比較解剖学専攻・鶴見大学歯学部解剖学教室)