16. 三木成夫先生を偲ぶ
 
後藤仁敏
 
 三木成夫先生がお亡くなりになってから二年が過ぎようとしている。先生の訃報に接してから今日まで、先生が満六一歳という若さで、しかもあまりに突然に逝かれてしまったという空白感は、ますます大きくなるばかりである。せめてもう一度、つたない追悼文をしたためて、先生の思い出をしるしたい(地学団体研究会機関紙「そくほう」四〇六号参照)。
 私が三木先生にはじめてお会いしたのは、一九六八年4月、大学四年の時、別の講義をうけるつもりが間違って先生の骨学の講義をうけたときであった。先生は、ゲーテ形態学から話し始められ、動物の個体体制の原形、外骨格と内骨格について述べられた。私は当時古生物学専攻の学生であったが、これこそ自分のもっとも知りたいほんものの古生物学の講義だと直感したことを忘れられない。その後、縁あって古生物学から解剖学の世界にはいり、職業としての解剖学教師となったが、いまなお私の解剖学講義の第一頁は、このときの三木先生の講義ノートそのものとなっている。
 私は、三木先生と同じ東京医科歯科大学の解剖学教室で四年間過ごしたが、学部が違ったのでよこから三木先生の授業をながめるだけであった。しかし、ある日神田の古本屋でみつけた『高校看護・看護一般U』の「第一章解剖生理」と、『原色現代科学事典6・人間』の「3・ヒトのからだ」は、私の解剖学の教科書として、ほとんど暗記しているほどに役立たせていただいている。
 三木先生が東京芸術大学にうつられてからしばらくして、私も鶴見大学に転勤した。鶴見にきてからの方が、遠慮なく先生とお会いできるようになった。そして、井尻正二先生の還暦記念出版で執筆をお願いし(「脊椎動物のPhylogenie = 人頭骨の“なりたち”に関する考察」の項を分担)、原稿の書き方やシェーマの描き方を教えていただいた。先生は既存の原稿用紙は息がつまるといって用いられず、自分で烏口をひいて作った原稿用紙しか使われなかった。シェーマはかつて学研の編集部の人に「先生なら図をかく仕事だけで、医歯大の助教授以上の給料がとれる」といわれたほど、まさにプロなみ、いやプロ以上の腕前であった。ただ、出版社の倒産などの事情で、原稿をいただいてから印刷にいれるまでに時間がかかったせいもあって、初校を真っ赤にされたのはしかたないにしても、さらに再校まで真っ赤になったのには泣かされた。しかし、自分の文章にこれほどまでもこだわること、また、図と文の配置などのレイアウトをきめてから原稿をはじめるといったやり方など、私にとってはほうとうによい勉強をさせていただいた。
 また、毎週木曜日午後の芸大美術学部の講義も何度かさせていただいた。先生は私たちの運営している化石研究会や地学団体研究会で何度も講演や講義をひきうけてくださった。化石研第三一回例会(一九七一年三月)では「脊椎動物の比較発生についての一考察」、地団研第二三回理論の学習会(一九七八年一月)では「からだの極性について」、地団研大学講座第U期第3回(一九八四年七月)では「胎児の世界――からだに地層を求めて」といった話をされた。先生のこころをこめた迫力あふれるお話は、いつまでも私たちの心臓の鼓動を励ましてくれている。
 先生は「おまえなど弟子ではない」といわれるであろうが、三木先生は井尻正二先生とともに私の人生における先輩であり、学問における恩師であると思っている。先生と私は出身学部がまったく違うにもかかわらず、同じ道を歩き、同じ目標をめざしてきた同志だと信じている。先生は医学部をでられてから解剖学教室にはいられ、脊椎動物の血管系の比較発生について研究され、また人体解剖学実習を担当されるなかでゲーテ形態学の世界を再構築され、井尻先生との出会いから『地球の歴史』(岩波新書)を愛読され、比較発生学と古生物学を統一した宗族発生(Phylogenie)へと進まれた。私は地質学を大学でまなび、脊椎動物古生物学を専攻して、歯学部の解剖学教室にはいり、脊椎動物の歯の比較発生について研究し、学生に人体解剖学を教えるなかで、歯の比較解剖学を古生物学の統一をめざしている。そして、ゆくゆくは三木先生のいわれた「からだに地層を求めて」をうけついで、「人体地質学」という新しい世界を切り拓きたいと夢みている。
 そのことを思うにしても、三木先生がこんなにもはやく、こんなにも突然に逝かれてしまったこてゃほんとうに残念である。とくに、『生命の形態学――人体構造原論』が未完であるのが口惜しい。先生の残された仕事を少しでもやり遂げるために、また『内臓のはたらきと子どものこころ』や『胎児の世界』、そして今後出版される『生命形態の自然誌』(全3巻)などに述べられている三木先生の思想をうけつぎ広めるために、私も微力ながら尽力したいと思う。
 先生のつねに遠くを見つめるまなざしとやさしい笑顔は、いつまでも私たちのまぶたの内側に焼きついてはなれない。それは私たちにかぎりない励ましと勇気を与えてくれている。こころより先生のご冥福をお祈りしたい。
 
(鶴見大学歯学部解剖学教室)