2. 三木君の思い出
 
秋山房雄
 
 三木君とわたくしとが初めて富永半次郎先生をお訪ねしたのは、昭和二十九年の春のことで畏友千谷七郎博士(当時女子医大精神神経科教授)のお宅でした。先生は戦災で疎開しておられた群馬県北甘楽郡新屋村小舟から五年ほどたって浦和に移られておられました。三木君との最初の出会いがこのときで、したがって、先生の富永学校(こんなことばがあったわけではありませんが)では同級生であります。大学を出たのはわたくしの方が十二年早かったのですが、以来、親しい友の一人として、三木君は数々の懐かしい思い出をのこしておいてくれました。
 年に一・二回、同級生の会が開かれました。たいてい池袋のハゲ天で、お酒を酌み交わしながら、いい気分になって喋ったものでした。主役は彼で、独特の話し振りで、奇想天外の卓論が紹介されました。大学できいた解剖学とは全くちがった、しかも生命の誕生から始まって、胎児の世界にまで及ぶ、まことに雄大な話で、はじめはほんとかなと考えているうちに、しらずしらず引き込まれて感心してしまうことはしばしばでした。
 彼に会った最後のおり、「正論」にのせた「南と北の生物学」のコピーをもらいましたが、第一回の「内臓系と体壁系」で背なかは北に向き、おなかは南を向く、からだに備わる「腹−背」の極性が「南−北」の極性と一致するという発想は、彼でなければでてきません。さらに第二回になると「下町と山手」となり、最終回には「南下と北進」ということで、この生物学は終わっております。生物学の明かした「南北図」となるのではないかという考えは、日頃から高説をきいている私にはなるほどと合点できますが、初めてきく人にとっては、理解はちょっと難しいのではないかと思われました。
 ところが彼の一周忌の集まりのおり、芸大関係の人達の思い出の中で、彼の講義は学生に大変人気があったことをきいて、芸大というところは、一般の大学とはちがったセンスを持っている人の集まりではないか、と思われたのです。このことは時おり訪ねて行った彼の教授室でもうかがわれました。胎児をモデルにした卒論作品や、動物性器官と植物性器官とをうら腹にしたモデルなど、初めてみる珍しいものが部屋一杯におかれていて、こんな教授室はほかにないね、といったものでした。
 彼との親密度が増すにつれて、私の解剖学への興味は次第に高まりました。そしてもともと歴史に関心があったことから、臓器の歴史にまで発展したのであります。学生時代には、すこしも興味をもっていなかった胎生学にとくに興味をもつようになったのは、わたくしのやっている保健学を学生になんとかおもしろい学科にしたいという考えから出発したものであります。保健学の対象は人間であり、その基礎となるのは人体のしくみと働きへの理解であります。ところが、わたくしが学生時代に解剖・生理に特に興味を感じなかったのは、夥しい学名を暗記することに追われて、おもしろいというところまで到らなかったからです。これはわたくしの無能のためではありますが、しかし、決してわたくしばかりではないようです。わたくしが臨床医をやめて、東大保健学科と女子栄養大学で教える立場になったとき、これではいけないと痛感させられました。そこで、気付いたことは、解剖学に歴史をもちこんでみたらということです。たとえば、からだの臓器の歴史などは最適だと思いました。これには三木君の影響が大きく関わっておりました。そして、心臓や肺がどんな経過をへて出来上がってきたかという話は、とにかくおざなりにきいていた学生にとって、耳なれない、したがっておやっという関心をよび起こすには大いに役だったとおもっております。
 三木君の著書「胎児の世界」はあとあとまでのこる名著だと感心しておりますが、この本の中には、彼からきいた珍しいエピソードが一杯つまっていて、芸大の学生に、大きな感動をあたえたものと思われます。また、わたくしも彼に教えられたこれからの話題やみごとな図のいくつかを含めて「やさしい解剖生理学」を南山堂から出版させていただきました。そして出来上がったら、真先に彼のところに持って行きたいと思っていたのでしたが、出版されたのは彼の一周忌の直前となってしまい、誠に残念なことでした。
 彼のユニークなしごとの背景には、富永先生と、千谷教授、そして千谷教授を通して得たL.クラーゲスやゲーテの考え方が大黒柱になっていることを、「胎児の世界」の参考文献からうかがわれます。まことに彼は富永先生にも、また千谷教授にも愛された先輩の一人であったと思われます。
 また、彼の教授室で見せてもらった、胎児のきれいなプレパラートや、正確でしかも美しい図、彼からときどき送られてきた著作に書かれた端正な署名などが彼の人がら、とくにすぐれた美術肌の才能を、この拙文をつづりながら偲んでおります。
 かながねわたくしは学生にこんなことをいっております。あなたたち一人一人が、自分の最も得意とする才能を、与えられた環境において、あなたでなければできないようなしごとをして花咲かせることが、最も大切なことではないだろうかと。三木君は、このことをみごとにやってみせてくれたすぐれた生涯であったと、この友に心から敬意と表しております。