「ヴァーチャル俘虜学会」について
小阪清行
 
 恐縮ですが、まず私事から。
 私は丸亀市の新浜町というところに住んでいるのですが、1981年までこのあたりは塩屋町と呼ばれていました。(一部が分離して新浜町になった訳で、塩屋町という地名は今も残っています。)
 この塩屋町にある西本願寺塩屋別院(通称「ご坊さん」)に、昔多くのドイツ人俘虜が収容されていたことについては、お年寄りなどから稀に聞く機会がありました。たとえば、1904年生まれの父からは、家の前をよくドイツ人が通っていた、と聞いております。それは東京帝大法科大学教師をしていたSiegfried Berliner (ハノーファー生まれのユダヤ人。丸亀→板東)の妻のことだったのです。夫に面会しようと東京から引越してきて、わが家から東へ100メートルほどの借家に女中と一緒に住み、わが家の前を通って、西へさらに500メートルほどのところにある塩屋別院に通っていたようです。たまたま私の知人がその借家の家主なのですが、彼の父親はBerliner夫人がお米を牛乳で焚いて食べていると聞いて、大層たまげたそうです。
 さて数年前、高校教師をしている知人から、同僚の化学教師がドイツ兵俘虜のことを研究しているから、ドイツ語のことで何か分からないことがあれば助けてもらえないか、との電話をもらいました。家が塩屋別院に近く、さらに別院境内にあった付属幼稚園(現存せず。現在は墓地)に4年間通ったことでもあり、まんざらドイツ人俘虜と無関係でもないかと思い、お引き受けすることにしました。化学教師の赤垣先生とお会いし、その際、「ドイツ館」から入手した丸亀収容所の写真や絵ハガキのコピーを預かり、ドイツ語の説明文を私が訳すことになりました。軍隊用語や略語など不明な点が多々あり、高知大学の瀬戸武彦先生にメールでお訊きしました。瀬戸先生とはその頃まだ面識はなかったのですが、共通の知人(香川大学のドイツ語教師)の紹介で、すでに電話などでやりとりがあったのです。
 そんなこんなで、今年3月に瀬戸先生が丸亀を訪問されました。塩屋別院の収容所跡地などを案内しながら、色々なことが話題にのぼりましたが、その一つが瀬戸先生の著された『独軍俘虜概要』についてでした。残部がもう残り僅かだとのことで、俘虜についてほとんど何も知らない私でしたが、それでも『俘虜概要』が俘虜研究に極めて有用なものだろうとは感じておりましたので、「もしよろしければフロッピーさえお渡しいただければ、簡単にインターネット上に載せることが可能ですよ。それにデジタル化されていた方が、活字の場合よりも検索やコピーが容易です」と、何気なく漏らしたのでした。これが「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」というホームページ(以下、HP)が生まれるキッカケとなりました。(ちなみに、『俘虜概要』はラーンさんによってドイツ語に訳され、ドイツのHans-Joachim SchmidtさんのHPにアップロードされる予定だそうです。)
 私自身、複数のHPを管理しており、メールマガジンも配信しておりましたので、インターネットの力はつとに実感しておりました。瀬戸先生からお伺いしたところによれば、俘虜研究は各地でてんでに行われており、研究者間のコンタクトが必ずしも十分ではないとのことでしたので、かなりの力を発揮するであろうことを疑いませんでした。幸い習志野の星さんが以前から「ヴァーチャル俘虜学会」についての考えを暖めておられたため、星さんのアドバイスと協力で、計画は急速に具体化に向かいました。結局、HPに関しては、作成技術が私よりも遙かに格上の赤垣先生が担当することになり、言い出しっぺである私はメール会報と対外的な事務などを担当することになりました。
 さて、HPとメール会報の現状ですが、HPの訪問者は2003年8月27日現在で1336名。4月11日の開設ですから、一日に11名以上の訪問者があることになります。この種のHPとしては驚異的とも言える数字ではないでしょうか。SchmidtさんのHPの方からもリンクしてもらっているようです。メール会報の方はすでに21号を数えますから、平均すれば週に一度以上配信されていることになります。肝心の中味ですが、これは、百聞は一見に如かず、実際にHPをご覧いただければと存じます。メール会報もHP上でバックナンバーをご覧になれます。(「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」で検索できます。)
 HPとメール会報の反響などについて。
 赤垣先生の尽力で、HP上の論文・写真・地図・年表などの資料もどんどん充実していっておりますが、資料をHPで公開したことにより、今までにいくつもの数字・事実などが訂正されたりしております。HPが実際に「学会」的役割を果たし始めた、と言ってよいのではないかと思っております。
 また、色々の方面からお便りをいただくにつけ、研究の輪の広がりを実感しております。「ドイツ館」や諸先生方からは出来上がった冊子・論文・資料などをお送りいただき、これをメール会報で紹介しました。また例えば、最近では8月上旬にラーンさんが丸亀を訪問されましたが、この訪問もそもそものキッカケはHPないしメール会報ではなかったかと思います。そのラーンさんから、丸亀での学習会で様々の重要情報が入り、また青野ヶ原・姫路関係の研究者との連絡もとれるようになりました。こちらからもラーンさんにCD-ROM化された資料などを差し上げました。このように、資料・情報・論文の交換・流通が活発化したように思います。まだ16の収容所すべてではありませんが、すでに多くの収容所の研究者と連絡がとれています。
 興味深いところでは、現段階では残念ながらまだ公表できないのですが(星さん:「いずれ、プライバシー考慮の話がついたら、感動的な秘話としてご紹介できることと思います」)、俘虜問題の裏の歴史を垣間見るようなメールをいただいたこともありました。HPに関わりながら、歴史のドラマのようなものを感じさせられたことです。
 最後に、「丸亀ドイツ兵俘虜研究会」を紹介させていただきます。と申しましても、私自身は新参者で、まだちゃんとした会員の名前に価しないのですが。「丸亀ドイツ兵俘虜研究会」という名前は、HP開設時につけたものです。それまでは名前も特にありませんでした。「エンゲル祭実行委員」とほぼ重なっていますが、エンゲル祭とは別に地道に研究会を重ねてきていたものです。以下に五十音順でメンバーを紹介いたします。
  赤垣洋(丸亀大手前高校教諭、専門=化学)、大西伯治(丸亀市国際交流協会事務局長)、小阪清行(四国学院大学等非常勤講師、専門=ドイツ語)、嶋田典人(県立善通寺養護学校教諭、専門=日本史、特に移住史)、田村慶三(県立飯山高校教諭、専門=世界史、特にプロイセン史)。赤垣先生が実質的なリーダーです。HP上では赤垣先生と私ばかりが目立ちますが、実際の地道な研究に関してはむしろ他の3名の方の力が大きいのです。
 赤垣先生も私も、俘虜・歴史問題に関しては全くの素人ですので、何かと不行き届きがあろうかと思いますが、皆様の御協力を得て、HPとメール会報をますます充実させていきたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。