俘虜の日常活動のレポート〜検閲免除の情報通信〜
 
 ドイツ在住の研究者シュミット氏のインターネット情報に、名古屋収容所の情報将校ヘルマン・フォイクトレンダー予備役少尉のレポートとともに他の俘虜のレポートが掲載されている。今回シュミット氏のインターネット情報を通じて俘虜側で取材した情報がドイツへ伝えられていたことがわかった。例のケーニヒ情報と同様のルートで届いていた。驚きであるとともに貴重な史実として注目しておきたい。その内容は後日例えばドイツ館の研究誌にでも発表したいが、ここではその概略と注目点だけをお知らせしたい。しかし名古屋収容所以外の収容所でこれと同様の情報通信がおこなわれていたのかどうか。私は知らないが、もしその事実があればご教示願いたい。
 このフォイクトレンダー・レポートは推測であるが、内密の闇ルートを通じて後世に残されたことにまず注目しておきたい。この秘密ルートは、収容所の情報将校フォイクトレンダー(予備役少尉)の名前で送られていた。将校の場合は全てが特別優遇されていたので、おそらく手紙の検閲も省略されていたのかと思われる。実は東京の牧師を介しての秘密ルートがあった。陸軍は全く知らなかったか、知っていてもあえて黙認していたか。戦争の作戦情報や軍事秘密情報でもないので、たとえ発見されても深刻に影響する事態には至らなかったとは思えるが、しかし俘虜が本国に手紙を送るのは、ごく身近な私信程度の通信だったのでこのような俘虜の日常活動の詳細な報告を外部に伝えるというのは、本来は俘虜の通信許可の範囲を超えたものだったと思われる。通常の検閲ルートを通過しなかったものと推察できるがどうか。
 名古屋の場合は俘虜の日本語通訳レオポルト・ケーニヒが名古屋の会社工場へ労役に出た俘虜の仲間からその実態を聞き取り記録した。ケーニヒ自身が書いているが、所外労働に出た仲間からの取材は、日本軍の監視体制の裏で寸暇を見つけて取材するので、正確さや詳細さに欠けることもありうると、取材報告の難点を正直に書いている。所外労働の情報はケーニヒの情報でしかわからない貴重な情報である。これを情報将校フォイクトレンダーの名義の封書で東京の牧師を介してドイツへ送っていた。これによって特種技能を持つ俘虜が具体的に会社や工場でどのように貢献していたかがわかった。名古屋の会社の社史には、俘虜が労役にきたことは一部の社史を除いて一切記述していない。これまで実はこのルートはケーニヒ情報だけだと認識していたので、今回初めて知って驚いた次第である。フォイクトレンダー自身もまた東京の牧師ルートを使って収容所の活動実態を記録しドイツへ送っていた。
 また名古屋にいた俘虜マックス・シューマンや他の俘虜は収容所内の活動実態を同じルートでトイツへ送っていた。これらのレポ−トも同じ秘密の郵送ルートが使われた。
 これらの情報資料はフォイクトレンダーの遺族が名古屋の収容所にいた俘虜から送られてきた昔のドイツ語文字の筆記体の文書をタイプ文字に打ち直したものである。これをドイツの研究者シュミット氏が入手し、インターネットで公開してくれたものである。シュミット氏自身遺族の好意に感謝しているが、私も全く同様である。今回はその全体の紹介は長文すぎるので、ドイツへ伝達されたテーマと執筆者の紹介にとどめておく。
 
 テーマ             執筆者
1.学習会と講演会       マックス・シューマン
2.家畜飼育、植物育成     ヘルマン・フォイクトレンダー
3.所内の仕事         同上
4.音楽、合唱、絵画      マックス・シューマン
5.俘虜製作品展覧会      ヘルマン・フォイクトレンダー
6.ドイツ体操         パウル・ハルトゥンク
7.遊びとスポーツ       エルンスト・フォン・ラウセンドルフ
8.演劇            ヘルマン・フォイクトレンダー
9.所外での俘虜の就労活動   レオ・ケーニヒ
 
このうち「9.所外での俘虜の就労活動」は、ドイツ館の研究誌第6号(2008年9月)に拙稿で発表している。他のテーマについては、それぞれこれまでにいくつかの資料でその概略は紹介されているが、その詳細は今回の報告記録でよくわかった。発表の機会は未定であるが、何かの形で紹介したい。