21. 三木成夫先生の想い出
 
田中 康一
 
 私にとっての三木先生の想い出は、『脾臓の起源』と関連する学問的なもの以外ではほとんどありません。従って、想い出の内容も『脾臓の起源』と関連したものに限られています。この短い文の中で先生のお仕事の内容を批評する意思は全くありませんが、先生が浦 良治先生のご指導の下で発表された、『脾形成が二次静脈形成と密接に関連する』という仮説は極めて独創的で示唆に富み、ガレヌス以来神秘的な臓器と言われ理解する事が冒涜であるような感ある脾臓を、誰もが理解できる簡単な形に直すことの出来る魔法の合い言葉のように思えます。
 私が先生に直接ご指導を仰ぐことが可能であった医歯大学生の頃、解剖学の講義と実習は先生のご着任以前に終わっていました。また、先生が脾臓の起源を求めて研究を進められていた頃、当方は同じ大学の医学部病理学教室で杜撰な形態学を学んでいる最中で、先生の居られたと思われる古い解剖学教室の前の薄暗い廊下を、木のサンダルを引摺りながら日に何度も通り過ぎていた事になります。先生が『脾臓の起源』に関する論文を発表された頃、当方は渡米し彼の地で電子顕微鏡による血液形態学の仕事に携わっていました。従って、この期間は三木先生に関しては想い出どころか、その存在そのものも知らなかった訳です。先生との学問上の接点は、外国での仕事が一段落して帰国した後、以前から興味を持っていた造血機能の比較解剖学を自分の生涯的な研究課題に選んだ頃であったと思います。即ち、ヒトでは機能のよく分からない脾臓が、魚類では重要な造血臓器であるため、どうしても三木先生の『脾臓の起源』に関するお話を伺わなければと考えるに至りました。私の尊敬する埼玉医大、平光教授に三木先生へのご紹介をお願いし、先生の脾臓の原著を入手しました。これとは別にあらかじめご都合を伺い、上野の音大の古い校舎の中にあった診療所に先生を訪ねました。
 初めてお会いした先生は、骨格の細い小柄な白髪の目立つ物静かなお方で、話をする相手の目をじっと見詰め際立ってゆっくりと話をされるのが印象的でした。その時何のお話を伺ったか記憶にありませんが、脾臓の起源に関する話しは全く出なかったように思います。先生とはその後何度かお会いする機会がありましたが、不思議と脾臓の起源に関する話しは一度も出なかったと記憶しています。よく伺った話しは、芸大の生徒には心因性の病気が多く、その原因として20歳台で天分の有るものと無いものの差が明確に現れるためではないかと言われておりました。或る年の春、桜の花が咲いていた頃、学会で上京した畏友 故 福田 多禾男 東北大教授と一緒に、事前の連絡なく新しく出来た音大内の診療所に先生を訪れた事があります。突然の来訪を先生は多少ご迷惑そうでしたが、二人は小さな明るいお部屋に通されいろいろなお話を伺いました。残念ながらその内容は記憶しておりません。ただ、患者の美大の学生達の贈物と思われる沢山の絵が部屋に置かれ、書棚に小さいラブカの標本が口をつぐんでいたのを思出します。
 私のみが知っている、はっきりとした記憶の先生のお話を一つご紹介いたします。昭和57年3月15日、日本シーラカンス学術調査隊が得たラティメリア一匹が、新宿百人町の国立科学博物館分館で特定の研究者に公開され、研究用に組織材料が配布されたことがあります。私はこの情報を新聞紙上で知り、その脾臓を入手すべく努力しました。この時、シーラカンスからの連想からか、三木先生をお誘いすることを思いつきました。電話で先生に連絡をとり、もし興味がおありの時には新大久保の駅でお待ちする旨申し上げましたが、気の乗った返事はいただけませんでした。当日、期待しないまま新大久保の駅でお待ちしていましたところ、約束の時間より前に先生が来られ一緒に開催場に参りました。当日の参加者は主に魚類学を専門とする生物学者で、医学関係の解剖学者は一人もいませんでした。従って、少なくとも私は、言葉の通じない異国に来たような感じがいたしました。解剖が始まると、魚類学者は大きな魚体を処理するのに明らかな戸惑いを見せ、仕事が余り進行しませんでした。二人は部外者ですから周囲から観察のみを行っていましたが、解剖の進行が極度に遅いため周囲の方に三木先生をご紹介し、先生にシーラカンスの解剖、特に心臓周囲、をされる事をおすすめしました。周囲の方もこの提案を快く受け入れて下さいました。始め先生は遠慮し辞退されていましたが、やがて解剖刀をとり、心臓の位置する左右胸鰭の間の切開を始めました。その後は一瀉千里、周囲の人々が驚いて見守る中に周囲組織を剥がし見事に心臓を取り出され、子細に観察された後一言『これは肺魚の心臓に比較して分化度が低いね』と呟かれました。この時点までシーラカンスこそは哺乳類直系の祖先で、肺魚よりもより両生類に近い構造を持つと考えていた私は、先生は間違えておられるのではないかな?、と驚きました。疑う間もなく、科学博物館の上野先生が『他の研究者もその様に言っています』と直ぐに答えられたのが印象的でした。最近同じ様な企画があり、今度お供した平光教授に三木先生の想い出が重なりました。
 先生のご冥福をお祈り致します。
 
(病理学 青梅市立総合病院)