23. 三木成夫先生の想い出
 
中尾 泰右
 
 先生に初めておめにかかったのは、昭和三十五年か三十六年の夏休みのことであったように思う。
 浦先生に呼ばれ、教授室でご紹介していただいた。 当時の先生は、髪の毛も黒々と、鬚の剃り跡も目立つほどの色白の、どちらかというと(僕の基準では)美男子と言ってもそう無理ではない人であった(僕の判断が甘いのか辛いのか自信がない)。 その時私は先生に、当時解剖していたM.cervico-(costo-)humeralisの標本をご覧にいれたことを覚えている。 三木先生は教授室に隣接する部屋でその年の一夏を過ごされ、そこで浦先生直伝の血管注入法を会得され、研究を開始された。 翌年の夏休みも仙台にお出でになられたように思うが、記憶は定かでない。 この仙台でのご研究が、あのオオサンショウウオとニワトリの、脾臓と二次静脈の発生学的関係についての一連のご研究の口火を切るものとなったのである。 因に、これらの業績は Möllersdorff の Handbuch (Y/6) に約2頁を費やして詳しく紹介されている。
 仙台で初めてお目にかかって以来、若輩でありながら親しく御交誼を得ることが出来た。 浦先生と共に三木先生には、様々な機会に自分の研究の概略を説明し、未熟な考えを述べて先生のご意見を訊くことが、私の大きな楽しみの一つとなった。 数々の費重な示唆を得たことはもとよりであるが、先生に話したことで満足し、心強い援軍を得たような気になっていた。 先生を知る多くの方々と同様、私にとっても、先生との出会いは一つの大きな幸せであった。
 芸大に移られてからは、数多くの著作があるが、先生は形態学者としての培われた目を通して、『自然の意(こころ)いわゆる「天の命」の観得』(保健の科学14巻、1972年、203頁)に強く心を惹かれておられたことが窺える。 多くの著述は、それぞれに強い説得力を持つ魅力に富む論述である。
 今この原稿を書きながらも、髪の黒々とした若い頃の、生き生きとした三木先生のお顔が真先に浮かんでくる。 互いに唾を飛ばしながら話に夢中になってくると、「ホウ、ホウ」と言いながら両手でツルリと顔を撫で回し、次いでその両手で髪を撫で上げ、大きな目を光らせながら身を乗り出してくる、あの三木さんの仕草が思い出されてくる。
 御葬儀には止むをえぬ所用でどうしても出席できず、少し後れて上福岡のご自宅にお見舞いした。三木先生の訃報は、まことに信じられない思いであった。 お線香を上げながら見上げた佛壇の遺影の写真では、余りに真白な髪に何故か、私の知っている三木さんとは違う人のように思えた。 改めて先生のご冥福をお祈りい致します。