24. 手のぬくもり
 
長野 泰一
 
       * 四 億 年
 
 ウイルスという、形も小さく、世代も短いものを扱っていた私は三木君と識り合ってから、かれのロから出る言葉に一々驚いた。
 「リンパ球という細胞は僅か四億年前にできたばかりで、細胞としては新米だ。」
 「脾臓は昔は大いに働いていたが、今は楽隠居の身分だ。そのうち、変身して脉管系の一部に組み込まれるだろう。」等々。
 私は披の広い視野とたくましい綜合力に引きつけられて、彼の顔さえ見れば愚問を連発した。彼はうるさがりもせず、笑い出しもせず、噛み砕いて答えてくれた。
 
       *アルマイトの弁当箱.
 
 メチニコフが細胞の異物捕食作用のことを書いた論文、「炎症の比較病理」(一八九二年)を一緒に勉強しょうということになって、三木君は日をきめて北里研究所の私の実験室に足を運んだ。そして、勉強の途中で昼になると、実験室の片隅で、それぞれ持参の弁当を開いた。彼が持参したのはいつもアルマイトの弁当箱であった。
 私はガスバーナーで湯を沸かしてお茶をいれた。
 
       *アメーバから人間まで
 
 私は文庫本にインターフェロンのことを書いた時に、動物の世界で人間がどんな位置にあるのかを書きたかったのだが、正確にはとても書けそうもないので、三木君にたのんだ。彼は個体発生、宗族発生、比較解剖、比較化石、比較発生など、いろいろな観点に立って、全動物の進化をただ一枚の図に正確に、そして明快にまとめてくれた。私はそれをそのまま私の本に載せさせてもらった。その図稿は今も私の本箱に大切にしまってある。
 
         *お も し ろ い 本
 
 三木君は初心者のために人体解剖学の本を書いたことがある。その本には個々の組織や臓器がどんないきさつででき上がり、そして、今、どんな働きをしているかがよくわかるように書かれていた。形態を、いわばダイナミックにとらえて説明してあった。
 大へんわかり易いだけでなく、読んでいておもしろかった。私は解剖学の本を読んでおもしろいと思ったのはこの本だけであった。解剖学を勉強しようとする若い人々に私はこの本を勤めることにしている。
 
        *繪 ご こ ろ
 
 三木君の「生命の形態学」と題する一文の中で、大気と植物とのかかわり合いを述べているくだりに挿図として中国南宋の画僧、牧谿の「遠寺晩鐘」が載っている。解剖書の挿図に山水画、しかも縹渺たる水墨画を使っているのを私はほかに見たことがない。
 彼が臓器や組織の形態を説明するためにやや模式的に描いた図は明快であると同時に、何となく美しかった。
 三木君が芸大に移ってからしばらくたった頃、私はミケランジェロの浮き彫りについて彼に質問したことがあったが、その返事のハガキにミケランジェロの聖母子像のレリーフのスケッチが描かれていた。それはさりげない走りがきながら、その作品の本質をしかと写し取っていた。
 
         *握 手
 
 彼と最後に会ったのは昭和六十一年の暮れであった。三木君は泊まりがけで岡山の私の研究室を訪れてくれた。積もる話もさることながら、滅多に無い機会だから、助手たちに比較発生の話をしてもらった。
 古生代から中世代、新生代へと、約3億年にわたる動物の顔の移り変わりを人間の受胎後一ヵ月の胎児の顔が6日間で走馬灯のように再演するという話や、水中から陸上へ、ついで空中へと、行動する範囲を拡げた鳥類は、陸上から離れないでいる人類よりも進化の正当派なのではあるまいかという話などが強い印象を与えたと、助手の一人が時々私に話する。
 外に出て夕食を共にしたあと、私は彼をホテルの前まで送っていった。披は 「会えてよかった。会えてよかった。」と繰り返しながら私の右手を両方の手であたたかく包み込んで、なかなか離さなかった。眼に涙を浮かべていた。