25. 三木先生とのことども
 
根岸 伸行
 
 三木先生との最初の出逢いは学部一年生の解剖学の授業でありました。その鋭い風貌に先ず圧倒されました。高校生の頃から進化論や比較解剖学には興味があって、生物学全般に捗って各種の成書は漁っていました。当然ダーウィンをはじめ古今の生物学者の名前も身近なものでありました。幸いにも神田神保町という世界にも稀な書店街に近く生まれていたので生物学の古書、特に戦前に岩波書店から発行されていたものも容易に入手することが出来ました。その頃木村雄吉著「生物概論」に接したが、新書版の小さなものでしたがこの内容には強い刺戟を受け、はじめて個々の生物に関する知識を基にして生物全体をみわたすi d e eを構築している人々や、その歴史があることに気付かされました。
 さて解剖学の授業でありますが、分厚い教科書を幾冊も抱えて講義と人体解剖に追いまくられてくたくたの毎日でありました。特に三木先生の講義には心底まいってしまいました。脊椎動物全体の原型ともいえる体節構造を植物器官と動物器官とに分けそれらの占める位置の極性を示しつつ全人体を誘導してくる講義内容は宗族発生学そのもので、その場では生命の形態の歴史性は充分に納得させられ且つ至福の思いに浸たらされる感じであったのでありますが、いざ実際に屍体を前にするとそれらは何処へとも消滅してしまい、又発生学や組織学の知職も不十分で、蔵書のありったけをひっくり返してもノートの整理も出来ないといったありさまでした。愚かにも三木先生の講義が終了して長い時間が経った後で Anatomie は Kunde でしかなくて Morphologie こそが Id e e であると気が付いたのでありました。先生の研究室へは度々押しかけては血管注入した各種動物の胎児標本を前にして体節構造がいかに Metamorphose していくのか、熱を込めたお話には感動しても何も見えてこない自分にいらだちを覚え、標本室にもぐりこんで両生類から哺乳類までの大量の頭蓋骨を前にただへたりこんでいるだけで、所詮は悟性の領域の問題であり Anschauen の能力のない者には無縁の世界かと嘆いていただけでありました。勿論この言葉は三木先生の講義にいくどとなく出て来たものであります。
 その後高校時代の友人で秀れたゲルマニストになっていた大森道子女史に「ゲーテ自然科学の集い」という会があり、その勉強会でゲーテの「動物哲学の諸原理」を読むから参加するようにと誘われました。ゲーテの原著を読むには絶好の機会だとばかりに参加しました。読みすすむうちにわずかばかりに持ち合わせていた諸動物の頭蓋骨の知識が他の参加者にお役に立ったわけであります。この会には多くのゲルマニストは当然としてゲーテの自然科学に思いを寄せる動物学、植物学、科学史の諸大家が居られるのを知り大いに驚いたことでした。この勉強会のことを三木先生にお伝えしたところ先生自身がこの会の発起人の一人としてはじめから関係されていた由をうかがいました。そしてゲーテを読みつつ形態学を再確認する機会とする様にと激励をうけ、毎会参加されている老大家である菊地栄一先生の学びの姿に深い思いを込められておられました。
 芸大の研究室にお邪魔した折に、先生の講義からイメージした画学生の作品を数多く見せられ、当時は日本に広く紹介されだしたフランスの画家ピエール・トレモアのダーウィンの思想にとりつかれたような作品の印象を話題にしたところぜひみたいといわれ、画集や数点のリトグラフを持っていたので良き機会をと思っている内に見ていただく機会を失ってしまい、本当に無念な思いをいまだにしております。三木先生の御生涯は徒に余計な哲学や思想で武装することなく、御身の言葉で「生の形」を語り盡し、詠いあげた詩の人であったと信じております。