27. ある思い出
 
平川 省吾
 
 それが何時だったのか、場所はどこだったのか忘れましたが、その場面だけは、スポットライトが当てられた様に思い出されます。
 三木先生と私が一つの俳句を前にして向かい合っています。その句が誰の作なのか、上の句はどうだったのか、さだかではないのです。甚だ曖昧模糊たるものですが、何故か私にとっては、数多い先生の思い出の中から、ふっと浮かび上がってくる忘れがたい一つです。
 その句というは、
 
   おぼろ夜や 膣の奥処(おくど)の 鰓呼吸
 
と云うのです。
不謹慎な表現の俳句と取られる恐れもありますが、三木先生の“鰓呼吸”は私には並々ならぬものでした。句をしるした紙を渡して、私は先生の頻を見守りました。
 長い時間が流れた様な気もします。或いは短かったのかも知れません。先生の鼻の下が、膨らみました。
 「うーん、これゃあすごい句じゃ……!」
 「誰が作ったん?」
 「いやぁ、それが……そのぅ……若い女の人らしいんですが、名前は忘れました……
 この上五の“おぼろ夜や”もあやしいんですょ」
 「ひょっとしたら“おぼろ夜の”かも、いや、“春おぼろ”だったかなぁ…… ま ここは これとして、次の七五は
 こりぁあ ちょっと 云えんですよねぇ……」
 「うぅん……、しかし、
 何んちゅうこっちゃ
 形態学なんぞやらんひとが、こんなことをちゃんと云いおる……!
 なあ、平川君
 人間  わかる人には わかるんだなあ……」
 若い女体に投影された宇宙拍動を見事に句にした未知の作者に敬意を表しながら、感動の一刻を先生と分かったのでした。
 

 
 あの日の早朝、奥様からの電話で先生の異常を知り、病院へ駆けつけてからの日々は、何か遠い夢の中のできごとで、すべてがスローモーションで動いていて、追っても追っても手が届かないのです。しかも私にはとても現実とは思えないことが次々と眼前に繰り広げられていきました。
 
 当時、毎晩家の前で車を降りると深い息と共に、何か自分の存在を確かめたい様な気持ちにかられ、夜空を見上げました。
 天の川を始め晩夏の星が、野川や“はけ”の森の上に輝いていました。その降るような光に先生をおもい身が透過されていったのを思い返しています。
 今年もまたその季節がめぐってきます。
 
 彼の世より 光をひいて 天の川        石原 八束
 
〔杉並・善福寺クリニック〕