3. 三木成夫先生との出会い
 
浅野欣也
 
 昭和三十二年にお茶の水の医学専門課程に進んだ時、まずびっしり詰まった基礎医学の授業にこれが医学だという実感を持った。なかでも解剖学の授業は厳しく、組織学の実習時間になると顕微鏡標本を写生して点を打つ色鉛筆の音が実習室内にこだました。正直言ってわれわれはしぼられているなと感じた。そういう解剖学の授業に三木先生が登場されたとき学生はみなその「人間」を正面に据えた、独創的な講義に魅了された。たしかその講義でルートヴィヒ・クラーゲス著千谷七郎・詫摩武元訳の「性格学の基礎」が紹介されたことを覚えている。
 先生との真の出会いはしかし医学部卒業の後だった。当時はインターンという制度があり、私は母校東京医科歯科大学の医学部付属病院のインターン生となった。この制度はその頃も問題だった。まず受け入れる医局の側に立って考えると、インターン生には責任を持たせられないのでお客様扱いをするしかなかったようである。そのため大変よくさぼるのがインターン生であった。それまでの厳しい授業の枠から解放されて、インターン生達はせいぜい羽をのばし、ある者は翌年ある国家試験の勉強をしたりして気儘に毎日を過ごしていた。
 このような理由で拘束が解かれたことにより、また四年前の三木先生の記憶が布石のようになっていて、自分の人格形成ということに私もこの時期目覚めたように思う。そして友人の石間祥生君から「東京女子医科大学精神科で千谷七郎教授が夏季の特別抄読会として松尾芭蕉の講義をされるから聞きに行こう」と誘われたとき、それにすぐ乗ってしまったのである。そのためには三木先生のお口添えがあった方がいいということでそれをお願いしたところ、三木先生はわれわれ二人を河田町の女子医大千谷教授室につれて行って下さった。たしかそのとき「石間君保証できるが、浅野君のことは自分はよく知らないけれどもよろしくお願いします」というふうに紹介していただいたと記憶している。「芭蕉」が終わった後もクラーゲスの「表現学の基礎理論」を水曜日の医局抄読会で、「性格学の基礎」を金曜日の女子医大四年生の講義で聞くために週に二日女子医大に通う事になり、インターン終了後そのまま女子医大精神科医局に入局したのが昭和三十七年のことである。一緒に入った石間君は間もなくやめられ私一人が残ったが、四十七年に医科歯科から吉増克實君、続いて岩井一正君、堀川直史君、星野惠則君、坂元薫君等がつぎつぎに入ってきた。
 三木先生と私の学生の時の出会いがいわば伏線となって、インターン生の時の出会いが私の人生を変えた。人生航路の曲がり角に三木先生との出会いがあった方は私の外にも多いのではないかと思う。そのような不思議な感化力をもち、相手の運命を開く人智をこえた奇しき効果を発揮されたのが三木先生であった。女子医大に十五年在籍した私は、やはり三木先生のご縁につながる今泉忘機先生の第六天連句会に所属し、現在の東京厚生年金病院で「連句療法」という精神療法を始めた。そして今俳人芭蕉の「風に破れやすい」心性について研究している。私の天職もライフワークも、三木先生に導かれたものであったことにあらためて驚くのである。
 
(東京厚生年金病院神経科部長)