35. 三木先生の想い出
 
三宅 祥三
 
 大学入学直後の五月病のつづきのような状態で、無気力に過ごした教養課程が終って、学部一年生で受けた解剖学の講義は、やっと大学に入ったのだなあという印象がありました。殊に三木先生の講義は単なる知識の伝授ではなくて、人の心の琴線に触れる内容で、聴く者の心がゆさぶられるようで、大変感激したものでした。其角の「早船の記」を引用した話、ゲーテの話等々、実に新鮮で、はじめて師と呼べる人に出会った思いでした。講義のあとも先生の自室を訪ねて又色々御話をうかがうことが出来て、当時から慢性的な“うつ状態”にあった私は、三木先生の御紹介で、富永先生の御宅で御話をうかがうことも出来ましたし、又千谷先生の御指導をうけることも出来ました。生来の“なまけもの”の私は、本当に三木先生に色々御指導をうけたにもかかわらず成長することが少なくて、不肖の弟子でありました。
 私は昭和四十七年に病理から臨床に転向して、日本鋼管病院に勤務いたしましたが、四十八年頃より、東京逓信病院高等看護学院の解剖生理の講義を担当するよう三木先生より御話があり、三木先生の書かれた教科書で講義をいたしました。五十四年に日赤病院に来ましてからも、看護短大の解剖生理の講義を担当きせて頂いていますが、今なお講義の基礎は三木先生の御話にあり、先生の書かれた“ひとのからだ”は私にとってはバイブルとなっています。未だに毎年講義の前には必ず読ませて頂いています。
 不思議なもので、三木先生が御亡くなりになって、一周忌も過ぎた昨年の暮頃から、先生がよく言われた御言葉の如く“薄皮がはがれるように”実修の内容が少しづつかわる感じがあり、自分でも大切にしたいと思っています。
 近頃私自身で漢方薬を使ってみて、三木先生が漢方薬を御愛用になったわけも実感として解るようになり、私も患者さんに漢方薬を使う機会が増えてきましたのも自然の成り行きかもしれません。
 私は最近心身医学でよくいわれる「アレキチミヤ」なのでしょうか、自分の自己表現が下手で、私の真意は三木先生には御伝え出来なかったのではないかと思っていますが、三木先生は私の人生に於いては、最も大切で敬愛した恩師でした。せめてあと十年御元気でいて欲しかったという思いは抜け切れません。三木先生が、私の如き男にも注いで下さった愛情の何万分の一でも、私の周囲の人に与えられるようになりたいものだと思っています。
 三木先生の長年の御懇情と御指導に深く深く感謝しつつ、先生の御冥福を御祈りいたします。
合 掌
 
(武蔵野赤十字病院内科)