39. 山椒魚と三木鍋
 
山口 黎子 (旧姓 藤本)
 
 国府台牧場での放牧が終わり、お茶の水の狭いキャンバスに戻ってきた私達を待っていたのは、あこがれの専門課程の講義でした。独特の臭気に悩まされた解剖実習が終わってしばらくしてから、比較解剖学という講義がありました。そこで登場された三木先生の講義は初めて出会う事柄というだけでなく、考え方の新鮮さにびっくりしてしまいました。その後、先生に心酔した何人かの学友のうしろについて、先生の研究室に出入りさせていただいておりました。
 インターンの夏に、先生が東北に山椒魚を探しに行かれるというので、山岳部だった私達はポーターをかねて、お供させて頂くことにしました。生れてはじめてみる三陸海岸の海は不思議でした。透きとおって冷たくて、それでいて塩辛くて……。白いパンツだけの子供たちが何人か波と戯れていました。行く前から「お魚をたっふりいただけますよ」というお話でしたが、本当にたくさんの海の幸にかこまれ、若い大食漢でも食べ切れないぐらいの御馳走で、二の膳までもつきました。そこで初めてお目にかかった小川鼎三先生は、お魚をそれは見事に骨だけをきれいに残して召し上がっておられました。
 次ぎの朝は滝の上温泉へ向かって登り、大きな滝壷にびっくりしました。苦しい登りの乳頭山を経て爽やかな風の吹く田沢湖におりました。この湖も青さが素敵でした。東北の小京都といわれる角館にある奥様の御親戚の武家屋敷に一泊させて頂きました。咲いたらさぞきれいだろうと思われるどっしりした桜並木とひなびた庭園に往時が偲ばれました。奥様の妖清のような美しきもこのよぅなところから生れてくるのかと思いました。そのお宅で出されたグラスに一つ入った冷たいシロップづけの真っ赤なすももの美味しかったこと。その折り求めた桜細工の茶筒はまだ作りたてのようなつややかな肌をしております。
 最初は大勢だった仲間もだんだんに減って子安温泉をめぎす頃には、先生と奥様とMさんと私だけになってしまいました。河原に温泉が沸き出している所がありましたが、日照りが続いて熱くて入れませんでした。もっとも、アブがブンブンとんでいましたからほど良い温度でも入れなかったでしょう。ひなびた宿で泊まり客も他にあったかしらと言う感じでした。
 翌朝はひんやりするブナの原生林の中を休み休み登って行きました。うっそうとした昼なお暗い大木の林で、行き交う人もなく時折聞こえる小鳥のさえずりの他は、大きな静寂につつ連れていました。チョロチョロと流れる冷たい清水の中に「あっ いたいた いました」いもりを少し小さくしたような山椒魚が……。
めざす山椒魚が見つかって、私達の旅も終わりに近づきました。
 夕やみ迫る頃やっと着いた須川温泉ではバンガローに一泊、お湯が四六時中あふれている桧の浴槽でした。二部屋あって、Mさんが先生と奥様を二人にして差し上げたら」と言いましたが、私がおじゃま虫で奥様にくっついていました。今にして思えば、新婚旅行(?)のお邪魔をしてしまったのではないかと悔やんでおります。
 
 私達山岳部の仲間は、その後もしばしば百人町のお宅にお邪魔し寒い冬の夜には奥様手づくりの「三木鍋」を御馳走になりました。「水を入れずに白菜と豚肉を交互に鍋に入れてとろ火で長いこと煮るとこんなに減ってしまうのですよ。」とおっしゃりながら、大根おろしをたっぷり入れた小鉢にだいだいをしぼり清水坂の七味唐辛子をかけ、あつあつのところを勧めて下さいました。とても美味しくていくらでも入ってしまうので、大食漢のためには鳥のから揚げまで用意してくださってありました。我家でも時々昔を懐かしんで作っておりますが、子供たちも喜んで食べております。
 
 先生も芸大に移られ、私も大学を離れてからはお近くに住まいながらなかなかお目にかかる機会もなく過ごすうちに、突然悲しい知らせを受けてしまいました。まだまだ先生からはいろいろ教えて頂かなくてはならなかったのに本当に残念でなりません。
 
(医十二 川越・山口内科医院)