40. 形とリズム
 
養老 孟司
 
 三木先生は、形の本質がリズムだといわれた。私がいまでも残念に思っているのは、このことについて、ついにそのご意見を、直接詳細にお聞きする機会がなかったことである。
 先生には年一回、東京大学医学部の学部学生に講義をお願いしていた。「形の本質はリズムだ」というのは、その講義でうかがったことである。最近では即物的な講義が多いから、先生のいわば浪漫的な講義は、いまの学生にもたいへん人気があった。亡くなられた年には、五月祭で進化について講演され、私がその驥尾に付して、やはり進化について話をした。これはもっぱら学生の企画であり、学生が自発的に先生をお呼びしたのである。
 その夏、私はプラハで研究会があって、それに出席した。行き帰りにエール・フランスを使ったので、パリに立ち寄り、知人と話し込む機会があった。この時に、なぜか三木先生の話が出た。夏の暑い日だったので、私たちはセーヌの岸辺のベンチに座って、ノートルダムを眺めていた。そこで私は、三木先生という人、その考えを、相手に紹介したのである。帰ってから、この日が、先生の告別式の日だったことを知った。そうした奇妙な形を介して、なぜか、訃報がパリに届く。そういう印象のある方だった。それは、謦咳に接することのあった方たちは、よく御存じであろう。
 東京芸術大学からの委託学生として、大学院学生の布施英利君が、この年から、私の研究室に来ることになった。三木先生の紹介による。おかげで、先生と私どもの研究室とは、従来にもまして交流が増えた。だから私は、リズムの問題について、先生と討論する機会が、そのうち十分にあるだろうと思っていた。布施君の学位論文についても、先生のご意見が当然あるはずだったからである。
 布施君の学位論文の内容は『解剖の時間』(哲学書房)、『脳の中の美術館』(筑摩書房)という二つの著作に、よく示されている。この仕事の背景には、視覚における「時間」の問題がある。これについて、三木先生のお考えを是非とも知りたかった。リズムは時間性を内在している。それを、形とどう結びつけるか。それは、私に残された宿題になってしまった。
 形とリズムの問題は、哲学者の中村雄二郎氏が『ヘルメス』(岩破書店)で論じている。中村氏とは、三木先生の没後、対談する機会があった。しかし、もし先生が生きておられたなら、主題はさらに発展したであろう。私はまだ、この問題を、自分のものとして、捕らえたことがない。中村氏も、三木先生と同じ確信を抱かれているようであった。しかし、三木先生のように、形態学からその結論に達した場合には、私にとって、きわめて入りやすい道が用意されていたであろう。
 『現代思想』(青土社)に『唯脳論』を連載中に、私はこの問題を論じた。自分の中には、問題意識がなかったから、「形がリズムだ」というのは、ルール違反だと私は書いた。視覚領での議論が、フスマを破って、聴覚領に出たのだ、と。これは、もちろん、話を明瞭にするための方便である。ただ、それで反論して下さる相手がいないのは、たいへんに寂しい。力のいれようがない。
 これで覚えたことがある。疑問を一日延ばしにしてはいけない。聞かなければならないことは、直ちに聞くべきである。私も、私の先輩たちも、もうそういう年令になったのであろう。「またいずれ」、それが、もはやない。
 三木先生の得意の話は、シーラカンスの解剖だった。この話を記憶している学生は多い。シーラカンスには、サンショウウオの臭いがする。この辺りが、話の圧巻だった。いまでも学生に、シーラカンスはいったん陸に上がったのだが、途中で嫌になって、海に引き返した、という説を唱える人がある、というと、ワッと笑う。ナマケモノの子供のスライドを覚えている人も多い。なぜか、感情に訴える。先生の解説がつくと、確かに古怪な存在に見えてくる。動物愛護運動は変に盛んだが、こうして動物になれる人は少ないのであろう。客観的な科学も結構だが、それだけでは、科学が干からびて、ミイラになってしまう。
 三木先生の語り口、間合のとり方は、私からすると、小川鼎三先生によく似ていたように思われる。もちろん、講義の内容はまったく違うのだが、語り口で、すでに人を引きつける。こうした話し方は、まったく真似ができない。両先生の語り口が似ていたとしても、天性のものであろう。三木先生と二人で話す機会はしばしばあったが、そのときも同じだった。話にスッと引き込まれてしまう。
 最後に解剖学会に出られたとき、たまたま隣どうしの席に座った。だれかがなにかの実験結果について話していたのだが、そのときに耳元でいわれた。「君、ある動物に、ある操作を加えて、ある結果を得る。この組み合わせは何通りあると思うかネェー」。以来、私は、実験をきわめて不得意にしているのである。
 
(東京大学医学部 解剖学教室)