41. 三木先生から学んだこと
 
吉田 健一
 
 先生は、昭和五十八年五月に「胎児の世界」−人類の生命記憶−(中公新書)という本を出版されました。私は、ちょうどその年に先生の講義を聴講する機会に恵まれました。
 上野公園の木立ちをぬけ東京芸大の保健センターを訪ねると、先生は講義のためのスライドを何枚も準備されているところでした。鶴見大学の後藤さんから紹介していただいたあと、すぐに先生とともに講義室にむかいました。
 最初の講義は「原形論」でした。「原形」というのは、イメージ・おもかげ・シェーマともいい、ひとすじなわではいかない根原形象であると説かれ、「肖像画は、その人らしさがどれだけでているかにかかっている、プロのカメラマンは初対面でもその人らしさをとらえる」等、芸大生になじみの深いものを例にとって話されました。また、後半では何十枚ものスライドを使って「原形」の例を具体的に示されました。その中には先生のお子さんの写真もあり、年齢のちがいをこえて共通する「個の原形」をとらえさせるというユニークなものもありました。
 当時は「原形論」のおもしろさで頭が一杯でしたが、今ふりかえってみると、あのように私をひきつけたのは、テーマのおもしろさとそれに関する実例を映像で示されるところにあったと思います。日頃からたんねんに集められた資料は、聞く者を納得させるのに十分なものでした。
 講義のはじめは半信半疑であったことも、静かに話される声を聞きながら何枚も何枚もスライドを見せられているうち、とうとう終いには納得させられてしまい、自分なりに取り組んでみようと考えることがしばしばでした。
 先生のこのような講義の進め方は、医学に裏づけられていたことがその後だんだんわかってきました。「極性論」では、左右の双極性の例として脳の働きについて講義され、「右脳は形を、左脳は言葉をつかさどる。そのため芸大の生徒は、何事につけまず出てくる言葉は『なんと言ったらいいかなあ。』という会話が多い、感動してるのに言葉がでてこない。ところが評論家は、言葉はよく出てくるが、感動が少ない。」と例をひかれました。先生は、右脳のよく働く芸大生の特徴を考えて視覚で納得させる講義方法をとっておられたわけです。このことは「胎児の世界」でもふれられています。お茶の水から上野へ移られた時の印象として、「“珍獣”を見る少年のまなぎしで眺める若者の姿…。質問と称してやってくるのは、近くでこの生きものの“フォルム”を眺めるのが目的…」と芸大生のようすを述べられ、視覚に訴える講義の必要性を記しておられます。
 このように視覚(右脳)を重視していることは、配布される先生ご自身の手になる図にも感じられました。頭骨の宗族発生の図を配布された時「この図には、十八年かかっている。」と話されたことがあります。毎年、少しづつ描きかえて頭骨らしさを求め続けているとのことでした。脊椎と頭骨の図は化石まで含めた広い知識を、体壁と内臓の図は発生学を、それぞれひとつかみにして表現した力のはいった見事なものでした。これらの図を見ていると、先生ご自身は左脳はもちろん右脳もたいへん優れていた方ではないかと思います。
 しかし、限りなく「原形」に近づき続けたこれらの図も、ある日、突然その歩みを止めてしまわれました。先生の世界は、今はもう残された著書や図からしかうかがえません。私のノートには、授業のあい間にふと話された言葉がメモしてあります。もう、あらためてお尋ねすることはできませんが、それらの言葉には先生のおっしゃりたいことがたくさん含まれているような気がし、研究を進めていくうえで心していきたいと思っています。
 「直感が基盤になって、数値で証明する。よくわかっている人ほど計測点は少ない。」
 「何もないのに描いたり演奏したりするのは、拷問だ。」
 「人間だから出てくる心情の世界がないと感銘がない。」
 「内臓世界で感じる生理(腹わた)感覚は強い。」
 「生命のリズムに耳をかたむけた時、心が大きくなる。」
 「一度、ペーパー(学会)から離れなければだめだな。」
 最終講義では、「動物的(体壁系)・植物的(内臓系)の世界が、自分の中に熟してきたら、実感としてあるものがあったら、レポートか作品で提出してもらいたい。」とされました。形式的なものではない心のこめられた本物を望んでおられたことがよくわかります。
 先生の到達された世界は奥が探そうです。まだほんの入り口しかわかっていない私は、先生の言葉を思いだしながら少しずつこの世界にわけいって行こうと考えています。そして、何時の日か、先生が「ウーン…。」と言ってくださるような仕事ができたらと考えています。
 
                   (古生物学・埼玉県立自然史博物館)