43. 三木成夫先生の思い出
 
和気 健二郎
 
 三木成夫先生にはじめてお目にかかったのは、昭和四十二年の夏、人脳の連続切片をみせていただくために東京医科歯科大学の第三解剖学教室に二ケ月滞在したときである。
 当時、第三解剖は、萬年甫教授、三木成夫助教授、平光試i講師という錚々たる陣容であった。この留学によって、私は古典や宗族発生の観念にも目覚めた。
 三木先生はニワトリ脾臓の発生に続いて、アカウミガメの血管発生に情熱的に取り組んでおられた。先生の比較発生学がまきに骨頂にさしかかっていた頃である。
 アカウミガメの卵がはるばる日和佐の海岸から運ばれてくると、研究室は俄に慌ただしくなる。孵卵器のなかで胚の心臓が一斉に博動を開始する。先生の頬に緊張の色が走る。ガラス管を細く引いて作った微細な針が、そっと小さな心臓に刺入され、墨汁が注意深く注ぎ込まれる。墨は、瞬時に胚の全身にゆきわたり、血管網が黒く浮かびあがる。迫真の観察限で捉えられた胎児の造型は、「胎児の世界」のなかにいつまでも生き続けるであろう。
 或る日、先生は机上の小きな瓶を揺り動かし、じつと見つめておられた。一尾のナメクジウオがホルマリンのなかでふわりと廻っていた。先生はこの太古の姿を残す動物の内部をみたいという衝動に駆られておられるかに私には思えた。これを顕微鏡でみるために切片にしてしまうには惜しい。そこで以前に私が広島で採集したナメクジウオを持参し、「これは切片標本にでもして下きい。」と差し上げた。先生は大変お喜びになったが、「組織学をやっている者は、すぐに切る切るというが、切ってはいかん。切ればわかることもわからん。」と叱られた。私は先生の大きさを知らなかったことを恥ずかしく思った。
 あくまで、まるごと観察することが先生の研究の基本であった。そこから直観的に内面を透視して、形態の本質を掴み出す。そこに解剖学者としての非凡さがあった。「おもかげ」もこのようにして生まれたのであろう。
 「おもかげ」は、ダーシー・トムソンの生物の型や、レヴィー・ストロースの構造主義と、揺れ動く変化のなかに変化しない基本的な秩序をみるところが共通しているが、「おもかげ」は東洋的、神秘的である。解剖学と哲学、芸術を包みこむいかにも三木成夫らしい発想ではないか。
 先生考囲む会を浅草で催したことがあった。夜道に田原町の八ツ目本舗の前にさしかかったとき、先生は突然思い出したように、「和気さん、ヤツメウナギをやってみんか。」とおっしゃった。この一言は、私を数年もの間、ヤツメウナギに駆りたてることになった。ヤツメウナギは「食」と「性」のステージがはっきり区分されている動物で、以前から手がけていたビタミンAの貯蔵細胞を系統化することに大いに役立った。「内臓系」と「体壁系」の結合組織はビタミンAの貯蔵に対してもきわめて対照的な態度を示していた。このような結果をまとめて先生に御報告し御批判をいただきたいと思っていた矢先、御逝去の報に接した。三木成夫先生をこんなに早く失ったことは、痛恨のきわみである.      
 
(東京医科歯科大学・解剖学)