48. 三木成夫先生を偲ぶ
―― 色受想行識。心は天游に有り ――
今井 健一
 
 三木成夫先生が東京芸術大学美術学部においで下さったのが、昭和四十四年十月という。最近当時の学生のノートを偶然拝見する機会に恵まれた。表紙に「美術解剖学(骨学)中尾・三木先生」とある。十月六日から始まり、一月二十六日までの合計九回。「人間の骨格について」がレポート五枚の課題。体腔のシェーマが種々鮮明だ。翻って昭和四十九年一月十日のレポート課題は「植物的なかたちと動物的なかたち」。レポート五枚及び作品。 私が初めて先生の講筵に列することを得たのが昭和四十七年四月。十七年前。文字通り飛ぶように過ぎ去った。爾来、陰陽公私共に優渥・懇切なご指導助言を賜る。鴻恩に感謝の言葉もない。上京の折々お邪魔。洋々池袋で会食談笑。当時私は「人体」をテーマに武蔵野美術大学油絵科を卒業。画学生であれば誰にでも覚えがあるが、形態や形象に対するアプローチに拱手傍観。いやむしろ、今日に至るまで迷い迷った揚句の失敗と行きつ戻りつの遷延の里程標ではある。明治二十四年森林太郎の開講とされる美術解剖学。私は不埒極まりない修士課程一年次のむくつけき劣等生であった。 形態や形象の問題は終始強い関心の対象であったにも拘らず、美術解剖学は学問レベルの層の薄さと共に、優れた人体描写は解剖学的詳細を省略することによって完成されるともいえた。画学生にとっては過去の遺物であり無用の長物そしてかいなでの学問であるという周囲の反対の声の渦中に息をひそめてもいた。 春爛漫。上野の杜はさくら花満開。隣の動物園では本邦初公開の大熊猫に長蛇の列をなし、どよもす歓呼の声で賑わっていた頃。 美術解剖学の講座では、中尾喜保先生の「骨学」「筋学」、「生体計測」。成熟した柔肌に触れて目が呟み疲労。機能実験室では元早稲田大学の伊藤秀三郎先生の「生理実験」。兎の解剖。麻酔なし。肋間筋をいかに捌くかが肉屋の腕の見せどころ。例のカルビ焼・・・と三木先生。人間工学会用のデータ蒐めに砕身。工業技術院製品科学研究所の永村寧一先生の「生体機能論」。観察や実験の精密精確と仮説の合法則性の分野。「分析」「細分」の人皆赴く意欲は満たす。 いずれにしても真空管方式の電気生理測定装置。脳波・心電図・筋電図・呼吸曲線(鼻口・胸囲型)・精神電流。ブラウン管オシロスコープの輝線の波形に目をやり、オシログラフのインクや用紙の補充、シールドルーム内の雑音の除去やゲージ回路の絶縁不良の故障修理に右往左往。
 その頃三木先生の「生物学」は毎週木曜日。先生は「生命の形態学」とされた。午後三時四十分から九十分。大学改築中で講義室は二転三転。スライド映写機のお手伝いを二年間させて戴いた。十五枚入りのスライドファイルを二・三枚。隠元豆(澱粉)と山椒魚(黄卵)のスライドが、ここの学生用の最初と力説。ご自分の研究のオオサンショウウオやニワトリの発生学、比較解剖学、古生物学、植物・動物に関与した数々。一枚には芸術作品が多かった。実証を旨とする仲間には「おもかげ」は絵空事と映るらしいと嘆息。だしぬけに水墨画の題名作者名を質すこともあった。私は埃のついた指でよくスライドを汚した。オーレオリンのショルダーバックから「今日はこのスライドです。順番を間違えないように」と念を押す。順番は決まっていた。前日相当腐心されていた。気配りが有り難い。時々昼頃に院生の部屋で食事を摂られた。玄米飯に烏胡麻。講義後は学生相手に炉辺談話。体調が悪い時は、米国生まれの清涼飲料水を口にされる。プレパラート標本を顕微鏡で覗かせ、卒直な印象を求められた。冬の日、シクラメンの絵持参。久し振りに描いたがむつかしいネ。学生は誰も誉めてくれない。上の女児が上手だネといってくれたのが救いかと苦笑い。 発生論的方法及び形態学的方法をもって、「生物のかたちを植物と動物の両者で比較し、ヒトの生に現われた植物的、動物的側面を識別することによって人間の生を考察する、いわゆる植物・動物・人間の生の比較形態学」が四月頭初の黒板の大書き。芸術創作の形態や形象の世界とは濃密に焦点が重なり合う。実証的な自然科学の底入れとして映る。少なくとも教科書的学問体系の被害を受けることなく、豊かなイメージを要求された。 三木解剖学。いや三木形態学の芸術との交流提携・抑揚濃淡は私の潜在的な様々の主題が出会うきっかけとなり胸奥を揺すり引きつけた。日々の渇望を明確化してくれた。誇張なく鮮烈であり魅了された。思い込み、身贔屓、酔狂の類に等しいかもしれない。 ともあれ、私にとっては極めて近いところを旅していたのだと思った。恭順であった。他愛もなく煩事雑用の明け暮れの近時。三木形態学は、俗事にかまけて暮らす私の安逸に流れる心をひきしめてくれる。 三木成夫先生は、広汎多様な資料を自家薬籠中のものとして、われわれの出会う「諸形象の現実」を犀利明敏な手腕で平明かつ透視的に見直させてくれた。このことは、人間社会の修羅葛藤の渦の中からではなく、豊かな宇宙交響の通奏低音として煌き溢れる。 それは実人生の思慮行動の航路のよりどころとして、さわやかな思い出の結晶として輝く。心が和み、懐かしさがこみあげてくる。「清渓一路踏花帰」。合掌。  
 
(青森県立黒石商業高等学校教諭)