49. マダガスカルへ行こう!
 
上田 耕造
 
 芸大にも様々な講義があったが、芸大名物「生物学」はちょっと違っていた。学年末最後の講義が終わったその瞬間に大拍手が沸き起こるというパフォーマンス性豊かな講義が他にあっただろうか。三木先生から教わったことは単に知識だけではなく運命的な信頼と安心感に支えられた静かで生命力に満ちた生き方ではなかっただろうか。
 保健センターは聖地さながらに音校美校を問わず巡礼者があとを絶たない。三木先生のおかげでよほどの縁が無いかぎり一生涯出会えなかったであろう人達に引き合わせてもらうという機会に恵まれた。更に芸術家の卵である学生達の信念の支え、理論の裏付けになってくれたまさに心の師とも言うべき人物である。私の先生との出会いと喜びは今も懐かしさとともに思い起こされる。絵を描き始め、その道に入らんと決心した切っ掛けの一つに、「相似律」という写真集があった。掛け離れた世界にありながら不思議によく似たもの同士を集めたという写真集で自然の中に現れる「螺旋形態」などの不思議な秩序を羅列したものである。当時高校の美術部で映画やアニメーションを作っていた頃に、人体や生き物の動きの中に見え隠れする「螺旋形態」に強く引かれていたのだ。浪人して『芸術』という大きな抽象的存在に不安を抱き、自分のやっていることをなんとか納得したいと、意義を求めてあがいているとき自然に対するこの様な視点は私にどれ程の自信と必然性を与えてくれたか分からない。いま思えばこれらのことが自覚できたのは芸大に入学してからだ。
 「生命」に係わるこの、当時言葉にならないものを言い当ててくれる人が何故かそこにいたからである。このとき僕は、自分の向かうべき方向へ向かい始めた予感に胸踊らせていた。それから九年間(なんと私の人生の三分の一)を幸運な環境で過ごせることとなった。
 当時先生はゲーテのメタモルフォーゼについて講義をされていた。生物の持つ色彩がどこからくるのか?なぜ補色を生むのか?これは色彩を扱う者にとって非常にショッキングであるはずの現象で、問題が身近な所に転がっていることに気づかされた。またあるときは「物を見る」ということが、神経活動にもまして筋肉の活動によって行われることなど説明していただき、自分自身の体についてこんなにも気付かずにいたのかと、盲点を示されたような気がした。
 先生が何を求めておられるのかと思いつつファウストを読んでみたりもした。全編呪文のような(訳のせいもあるが)読物だ。ゲーテのファウストといえば今年亡くなった漫画家手塚治虫氏の絶筆となった作品が「ネオ・ファウスト」だ。バイオテクノロジーによって人間を作ろうとする男の話だったらしい。手塚氏もやはり生命の秘密を手にいれると言うロマンを抱いてこの世を去った。彼もまた医学の世界を我々に垣間見せてくれた点で三木先生とイメージが重なる。先生の学生に対する母親的な愛情、情熱はまさに鉄腕アトムの御茶の水博士のような存在であったとも思う。
 大学院の頃先生からあの独特のイントネーションで「まあ読みなさい」と著書『胎児の世界』を頂き、ようやく先生の研究の推移を少し理解し、自分は自分なりに油絵を描くことで思い付いたことを蓄えていくようになった。自分でも満足のいく発見があると、これを手持ちの駒に保健センターに行き、先生に問い掛けるのを楽しみにしていた。そして、いつも期待以上の答えとお話をしてくれたのだ。絵画棟研究室に招いて鍋を囲んだことも、幸せな学生時代として忘れることができない。
 最も印象に残ったのは「シーラカンス」の泳ぎがテレビで放映されたとき、そのマンボウのような動きに「なぜ今までこんなことに気がつかなかったのか!」と言って無念がっていた姿である。学者とはそういうものかと思った。まだまだ聞きたいことがあった。また、先生ならきっと答えてくれると確信できる問題もあいかわらず増えていく。解決方法はいくつか教えてもらったが先生に知らせたいことは益々増えて行くばかりだ。そんな空しさに対してもはや先生は、白衣の袖からラクダをのぞかせ見事な白髪を掻き揚げながら「ま、どぉ−しよ−もないんだな、こればっかりは」としか答えてくれないのだ。三木先生に逢ってから、いつの日か行かなければならない聖地がいくっかできてしまったようだ。先生の肉体は遂に本国を離れることはなかったというが、今後、先生に会うためにもその地を訪ねることになるだろう。私達のために多くの課題と置き土産を残してく
れた先生に深く感謝します。
 三木成夫先生、ありがとうございました。
 ある種の人間にはまるで虫でも観察するかのような視点で人間自身を観察しようとする姿勢がある。虫を観察しているとき、本人自身は虫の生活を楽しんでいるかのようでもある。ゲームのようでもあり、神話の世界そのもののようでもある。究極的には生命そのものを手中におさめ全てを操作したいという根源的な欲求があるためなのか。人間としての生活をより楽しもうとするために人間を観察するのだろうか?
 
平成元年五月 (東京芸大 昭和63年修了生)