50. 三木先生の思い出
 
逢坂 卓郎
 
 「君達、耳をすましてごらん、宇宙のリズムが聞こえて来ないか。」先生はいつもこの言葉を我々学生に問いかけていた。それは又、御自分の研究テーマへの問いかけでもあったようだ。先生は学生を非常に大切にされていた。芸大の学生は皆、人並はずれた鋭い感覚を持っている様に考えていらっしゃったようだ。私に言わせるとかなり過大評価なさっていたように思う。軽い気持で研究室(保健センター)に伺うと、ジッと人の目を見すえながら、こちらの期待以上に話をよく聞き込んで下さり、私の質問が、えらく重大であり、まだ誰もやった事のない研究テーマになり得るから、ここにある本を二〜三冊読んで研究資料としなさい……、と言う様な話にいつもなる。保健センターを出てくると、三木先生のオーラの様な物が頭の回りをフワフワと漂っていてなかなか取る事ができない。
 私は工芸科鋳金専攻の大学院に入った頃、初めて先生にお会いした。ただ物を作る技術だけを毎日学んでいる自分の姿勢に疑問を感じ、何か講義をうけたいと思っていた。先生が芸大に専任として赴任された初めの講義が「生物生態学」だった。私は妙にこの五文字に魅かれて授業をうける気になった。独特の風貌と話しぶりは、先生の研究テーマと共に、私の興味をそそった。私以外の多くの学生も又先生に魅かれる物を感じたに違いない。「毎週一日、五時から研究室に色々な人が集まるから、よかったら来なさい。」と誘っていただいた事がある。一度伺ったが、集まった人達は芸術、音楽の学部を問わず、又学外からの方達も居らしたようだ。しかし、来られた方達は皆とても個性的な方達ばかりで、話の輪の中に入って行く事が出来ず、何となくその時以来研究室から疎遠になってしまった。
 ある時、金属で脳の形を作品化することを想いついた。「本物の脳ミソが見れたらな……。」 ハッとひらめいてすぐ先生の研究室におしかけた。先生は相変わらず、「これは大変な仕事だ」とおっしゃられて、すぐ東大の解剖学研究室に連絡をとって下さった。三十分後、私は御陰で、思っても見なかった人間の脳ミソを両手に持って、先生のオーラの中でフラフラしていたのである。作品の制作には力が入った。展覧会に出品し、賞をいただく事になった。先生の力である。もう一つ一生忘れる事ができない事がある。それは人間の胎児の顔を顕微鏡で見せていただいた事だ。どんな抵抗をも打ち砕いて生き抜こうとする強い意志に満ちた爬虫類の顔がそこにはあった。その顔を見たのも一つの原因で、私は物の形を作ろうと言う意志がなくなってしまった。余りにも素晴らしい物に触れてしまったからである。存在すべくして存在している物の強さ、三木先生の言う何万年もの時間をかけて作られて来た形の必然性。生命力ほとばしる表情。その後、山行の途中で見た夕空に広がる光と霧の素晴らしい光景に触れた事もあり、形を作る事から光を作る仕事に転向してしまったのである。大学院終了後の体験であったが、しかし三木先生からの教えはむしろ光をあつかうようになってから、具体的に私の制作理念を形成させた。
 卒業後ある専門学校で先生に特別講義を開いていただいた。数十人の人々が聴講しに来られたが、そのほとんどは芸大の卒業生であった。先生の人格と研究テーマは先生との距離をおいた時、はじめて、その絶大な力を発揮するのかも知れない。今、私は光の演出家として仕事を続けている。私の作品も、光を表現媒体としたインスタレーションと言う形態をとっている。音と共に時間軸に沿って微妙に変化して行く光のシーンが、人間の生命記憶の中から何を思い起こさせるだろうか、と言うテーマである。私はまだ先生が亡くなられたとは思えない。増々強い力で私を引っ張って下さっているように感じる。昨年から私も美術大学で教鞭をとるようになった。きっと若い学生の中から「宇宙のリズム」に耳を傾ける者が出てくる事だろう。
                            
(武蔵野美術大学デザイン科講師)