51. 三木先生との出会い
 
長田 弘子
 
 一九七三年十一月十六日と三十日、神田駿河台の文化学院夜間美術科において、特別講義が行われた。
 講師は東京藝術大学三木成夫先生、テーマは「からだの形について(諸動物との比較)」。過ぎし日のことゆえ、記憶がいりまじってさだかではないが、生物の発生と五億年の歴史、「ラブカのこと」「羊水の味は海水の味と同じ」「受精後二八日の胎児」など、とにかくはじめて伺った忘れられないことばかりだった。藝大生の提出作品、「植物と動物」を見た時、う−んというため息とも羨望ともつかぬ静けさが漂っていた夜の教室、そんなことが少しづつ思い出される。
 この日の特別講義から後には東京藝術大学の聴講生となり、三木成夫先生の「生物」、中尾喜保先生の「美術解剖学」の講義の日には上野の森へ通ったのである。今はすでに移築された奏楽堂の横の古い建物の中で、三木先生は「僕はここが気に入っている、この高い天井が……」と、腰に手をあてられ、じーっと見上げられた。あの建物も今はもうない。顕微鏡や胎児、牛骨の居座った静かな部屋も、訪れたくとももうない。
 新しい保健センターの部屋に、講義終了後、学生やもろもろの人が集まった。時には社会還元とか申されて、琥珀色の逸品をコップや湯のみ茶わんに注ぎ、皆と楽しまれておられた。藝大での聴講終了後は、西田正秋先生の「人体美学」を、新宿の文化女子大学で工藤不二男さんと聴講するに至ったが、西田正秋先生も、もはやこの世の人ではなくなられた。
 今、手元には、「下北半島の今井君のために35ミリで撮ったものです」という受精後約卅五日の写真と其角の「早船の記」をひろげている。昨今のように、テレビや雑誌で胎児におめにかかることのなかったあの当時、強烈な印象を受けたものであった。書の方は其角の文といい、先生の墨跡といい対座しているだけで、心に響くものがある。そして落款が静かに先生らしさを強調している。
 この書を頂き、表装が仕上がってから「箱書」をお願いに伺ったのだが、一年・二年・三年と時が流れゆきても、お書きして頂けなかった。
 後に三木先生の奥様より、ご丁寧にお送り頂いたが、あの時のままの桐箱であった。
 「紙と違い、木は一度だけだ……」と、申された先生のおことばが脳裏をかすめる。
 いずれの日にか、ゆかりのあるお方に「箱書」して頂きたいと思う。
 三木先生との出会いによって、はかり知れないものを学ぶことができた。
 本当に得ることばかりであった。
 三回忌を迎えるにあたり、深く感謝しながら、在りし日を偲び、「人生に限りあるをや……」としづかにご冥福を祈るものである。
                            (主婦)