54. 最後にお会いした時のこと
 
郷津 晴彦
 
 一九八七年五月十六日の朝日新聞の夕刊に一枚の写真が載った。離陸したてのワシにノラネコが跳び掛かろうとしている。一目見てこれはすごいと血が騒いだ。そして三木先生が見たら大喜びすることまちがいなしだと思い、とりあえず切り抜いてとっておくことにした。それから六日後の五月二二日の金曜日、上野の西洋美術館で「西洋の美術――その空間表現の流れ」と題された展覧会を見た後、私は芸大に三木先生を訪ねた。かばんには例の切り抜きが入っている。
 保健センターの部屋に入ると、今見てきたばかりのフェルメールの「手紙を書く婦人」の複製が飾ってあった。凡百の絵描きからは抜きん出て美しく、気配をはらんだフェルメール。やはり三木先生は見る目が違う。先生もその展覧会は御覧になっていて、「会場に入ったとたんにあのアルカイツクスマイルにはまいった。」とおっしゃっていた。しばしその展覧会の話をしてから、頃合いを見はからって私は例の新聞の切り抜きを先生に差し出した。やっばり御存知だった。御存知どころか、「私もそれを見てもう興奮してな、自転車を飛ばして本屋までその雑誌を買いに行こうかと思ったんじゃ。しかし新聞が出ると同時に売り切れだろうと思ってなあ、行かなかったんじゃ。」というように話された。それからしばらくは、いかにその写真がすごいかということで話がはずんだ。かたや海、陸、空と進化の王道を歩んできた鳥類。それにおいてきぼりを喰った、いわば落ちこぼれの哺乳類が、精一杯背伸びをして跳びかかろうとしている。しかもネコが体を伸ばしたその姿がまさに擬人化された形で、まるで人間がバンザイしているように見える。哺乳類の「成れの果て」である人類のカリカチュアになっているところがすごい。相手は食物連鎖の頂点に立つ「空の王者」ワシである。ネコのしっぽがまたいい。それにワシの翼の羽根が幾重にも重なったこの様式美。これはとうてい哺乳動物のかなうところではない。このなかには鳥類−爬虫類と、哺乳類の怨念の歴史がこめられている。これはひょっとして史上最高の写真……。
 実はそれより二年程前に私は三木先生から一枚の図のコピーをいただいていた。それは中公新書の「胎児の世界」の図二六「宗族発生と個体発生」を改めた、八五年版の図だ。「胎児の世界」の八三年版の図では最上段の動物のシルエットが魚から人間へと一列に並んでいるのに対し、八五年版では、トカゲから、鳥類と哺乳類の二つに枝分かれした形でかかれている。そのコピーをくださった時三木先生は、脊堆動物は、両棲類から爬虫類そして鳥類へと空へ昇っていく系列と、両棲類から獣形爬虫類をへて哺乳類になる系列とに、大きく枝分かれをしたことを話され、最近の免疫学の成果についてもふれられたあと、爬虫類から鳥類へ行くのがどうやら進化の本筋らしいと言われた。「やっばり海から陸ときたら次は空、というのがもののはずみからいってそうなるだろう。」とわかりやすく話してくださった。私はこの三木先生の「もののはずみ」といったような言い方が大好きだった。先生はいつでもこのように、よくこなれた、実感を伴った言葉で語られたので、聞いている方でも、よく「腑に落ちる」のだった。
 またその日三木先生は一巻のカセットテープを出してこられて、とにかくこれを聴けと、ラジカセをカチャッとやってくださった。惑星はそれぞれが固有の電波を発していて、それをコンピューター処理して音に変換したのがこれだと。水金地火木……の順で音が出てくる・思わず身をのり出した。水星のヒステリックな音。地球はなんとも言えず哀愁を帯びた木管楽器か。木星ともなると、さすがにドスがきいている……。先生はそれらひとつひとつに、うれしそうに解説を加えて聴かせてくださった。最後にはそれら太陽系の惑星すべてで奏でるシンフォニー。二度三度とテープを巻き戻しては聴いた。それから話は例の十六秒リズムヘと進んで行くのだった。ひとの体の奥底に潜む根強い十六秒のリズム、それはこれら太陽系の惑星のどれかの持つ何らかのリズムとの共振ではないかと先生は話された。後に三木先生は、寄せては帰す海の波のリズムにその起源をもとめられたときいたが、この時先生が海辺の波にまで言及されたかどうかは、今は思い出せない。
 たしか、落ちこぼれの成れの果てである人間は、この地球上でひどいことばかりしている、といったところからだったと思う。もはや地球を求うのはエイズしかないんじゃないかというようなことを私が言ったところ、三木先生は「あれはゴンドワナの霊なんじゃ。」と言われた。南の古代大陸、地球のはらわたゴンドワナの霊がエイズウィルスに姿をかえて、北のローラシアの理性に対し、(北の島レイキャビクでは米ソ首脳会談が行われた。)免疫系の解体、即ち、軍備の完全撤廃を迫る、文字どおり血の叫びなんだと……。こんなすごいことを言える人が他にいるだろうか。
 この日が三木先生にお会いした最後になってしまった。その後一度だけ電話でお声をきいた。シーラカンスが泳いでいるところを撮影したビデオの上映会をそのうちやるから、その時はいらっしゃいと言ってくださった。「その遅さがすごいらしいんじゃ。」と三木先生は言われた。
 
(鋳金)