56. 三木先生の想い出
 
柴田 真美
 
 三木先生に初めて出会ったのは、東京芸術大学 美術解剖学講座 修士課程の入学試験での面接の時であった。今から、六年前の二月のことである。女子美術大学 日本画出身の私は、週一回、美術解剖学の講義に芸大からいらしていた、中尾先生を唯一の頼みに受験したのであった。面接会場に入った途端に、今まで一度もお目にかかったこともない先生方か二人いらした。そのお一人が、三木先生であった。実技ばかりやってきた私は、その場の持っている、雰囲気に少しおじけづいた。芸術大学の中の、学科というものが、怖い、と思ったのだ。三木先生は、そのご風貌から、きっと自然科学の方面をなさっている先生だろうと思った。はじめ、中尾先生が、進行されながら、いろいろお話をされていた。そのあいだじゆう、初対面の先生方が気になって恐る恐る自を上げると、難しい表情で、提出した論文や資料を御覧になっていた。そのうち、とうとう三木先生のご質問の番がきた。手にとっておられるのは、私が、方々の美術館で撮影した、作品の写真集だった。開かれているページには、撮る時に腕が揺れて、せっかくの画面がゆらゆらとブレているものかあった。きっと、写した写真を全部持ってきてしまった事や、ブレた写真が混ぎっているのに平気な無神経さを指摘されるのだろう、と覚悟を決めた。とても神経質そうで、きっと精密な自然科学をなさっているのだろうと思われるご風貌がそう覚悟きせた。そして、とうとう来た。
 「これはな、」
こちらに向けられたアルバムのページの、そのブレた写真が指差されていた。『こんな写真を持ってきたことをどう考えているのか』、『写真機の使い方を知らないのか』などの言葉を連想した。ところが、続いた言葉はこうだった。
 「君が自分で撮ったのか。」私が頷くと、「この揺れかたが、なかなかいいな。」と、独特の言回しで、言われるのであった。
 私には、私か感銘をうけた、三木先生の芸術大学における〈生命の形態学〉の象徴が、この出会いに存在しているように思えてならない。
 もうひとつ、象徴的に感動したできごとがある。学部の生物学の授業での事である。(大学院生も手伝いながら参加していた。)三木先生の講義には、非常にコンデンスされた理論と、それを象徴的、直観的に示すスライドが用いられていた。そのスライドの一枚に、ロダンの「考える人」と中宮寺の如意輪観音像との対比があった。動物的と植物的との対比である。実は、私は、大学院に入学する前、すなわち三木先生の世界に出会う前、全く偶然にも同じ作例の対比を行なっていた。姿勢についての考察の中で、「考える人」が、息をつめるような前屈した姿勢であり、如意輪観音像が気品のある前傾姿勢であるとしていたのである。三木先生の授業では、私の心の奥底で、直観的に響いていたものが、みごとにロゴスの世界で表現されていた。ロゴスの世界の痛快さを魅せつけられると共に壮大な世界との共感に酔った。
 ところで、現在私は、殊に馬の美術解剖学を専攻している。そして、どうしても作品を制作する立場の人間の視点が、私の学問の基盤である。三木先生の系統発生学的世界観に、無条件に傾倒するというよりは、少し方向が異なるであろう。しかしながら、三木先生独特の、深く感動的な世界には魅力を感じる。魅力は感じながらも、ときに、論理に芸術を無理矢理にあてはめようとする強引さを覚えることを禁じえない。だが、一方で(芸術に関する)ロゴスの快感とは、そうしたものかもしれない、とも思う。芸術大学における、学科というものが怖い、という直観は、正にこのことへの恐れである。ブレた写真の揺れへの賛美はロゴスに食い潰され兼ねないパトスヘの救いであった。
 大学院の学生時代に、三木先生の発生学的世界観に触れる事ができたことは、私の学問の深層構造の一つを形つくるものとして、得がたい経験であった。感得的に心に響くものから出発するという点において。また、心を解き放して、自然と一体となる点において。
 
(S63 芸大 美解 博卒、現 関東国際高等学校 美術科/日本画、馬の美術解剖学、馬学)