58. 拝啓 三木先生有難うございました
―― 三木先生との往復書簡 ――
高橋 勉
 
 「拝啓。三木先生有雑うございました。芸大卒業作品展の初日に先生がおみえになられたことを友人の東原君から聞き感激しております。当日先生とお会いできませんでしたことが悔まれます。大変失礼致しました。私としましては、都美術館で先生とお会いできませんでしたことは残念ですが、四年間の区切りの卒業制作を先生に見て戴けましたことは、何よりと感慨深いものがございます。
 卒業制作は「母性」をテーマに鳥の姿をかりて表現できたらと思い描いてみたのですが、制作の途中迷いが多く結局描かれたひとつひとつが生きた表情で語らない単なる図式で終わってしまいました。作品の制作でしか先生に御恩返しができない自分なのにも拘らず、先生にみて戴くのが多少つらい結果に終わってしまったことを深く反省しております。
 しかし、やはり卒業制作を先生にみて戴いた現在は、恥しさ以上に嬉しさでいっぱいです。芸大に入り四年間何も出来ずに終わってしまいましたが、ただひとつ先生の御講義をうけられましたことは、私にとりまして何よりの幸せでございました。
 また、大学院は二十三日に発表があり、御蔭様で合格が決まりました。今年もまた先生の御講義を前列の左はしの席から拝聴できそうです。今から新学期の生物の授業を楽しみにしています。
 季節柄、先生もお体を大切に。 敬具。 昭和五十四年二月二十七日 高橋 勉」
 
 「御手紙拝見しました。初日にまっすぐ貴君の作品の前まで行き、ああやはりこういうのだナ、というまさに貴君の姿そのものに接した様な雰囲気でした。いいとかわるいなどという世界ではありませんネ。対自画像とのコントラストの中に、今ここでまだ言葉になりませんが、なにかハッ!としたものを感じたことは、まぎれもない事実です。貴君の内部のなにか凄いものがチラと顔をのぞかせているのです。
 大学院おめでとう又一緒に勉強出来るのが小生も楽しみです。では又。 三月三日 三木成夫」
 
 私は、この卒業作品を主に黒と白で制作し、「うぶすな」という題で提出致しました。その後、私はこの同じテーマを赤と緑一対の作品にして三十号の大きさで取り組み、友人とのグループ展に発表したのですが、この時も三木先生は会場に来て下さいました。その日三木先生は画廊が終わるのを待って、私達を銀座のビヤホールに誘って下さり、エスカルゴを食べながら遠慮がちにこう言われたのです。「保健管理センターの私の部屋の壁があいているのだけれど、あの赤い方の作品はもう飾る場所は決っているの?」私は、他の何処を探してもあの様な作品を飾って戴ける場所などありませんので、大変光栄に思い改めてこちらからお願いしたような次第です。
 それから後、三木先生は亡くなられるその日までこの絵を壁に掛けていて下さいました。「あの作品は、この部屋の雰囲気にピックリ合うんだヨ。彼は何も言ってくれないが、この作品には色々秘密がかくされているんだナァ」璧に掛けてある絵の質問を他の方からされると、先生はよくこの様なことを言って下さったように思います。今はその作品も三木先生の奥様である桃子夫人に、私からお願いして受け取って頂くことが出来ました。夫人の御厚意で千早町の御実家に置いて頂き、私は今でも三木先生の傍に居られるようで心が救われる思いが致します。
 芸大の保健管理センターまで行く道すがら胸をときめかせつつ、高まる気持ちを抑えては、よく先生の部屋の扉を静かにゆっくりと、ノックしていた当時を今懐かしく想い出します。扉の向うには、必らず何時も「ヤアッ!」と手を上げて迎えてくれる三木先生が其処にいらしたのです。
 三木先生との出会いそして別れ・・。このことは私の中で今だに解決のつかない大きな問題です。先生との冒険は、まだ私の中で終わっていないのです。「先生が私達に本当に伝えたい事を、自分は何も理解しないでいる様で、それがとても堪らなく辛いのです」私は卒業も間近に控えた或る日、正直に思い切ってこの様なことを先生に申しました。先生は暫く私の目を見詰めた後、「高橋君、それはあなたがこれから一生涯かけてこれだというものをつかんでいく、その様なことなのかも知れないネ」と、そう静かに言って下さいました。私にとって、三木先生との出会いこそ、様々な意味で出発点でした。私に一生涯かけて、つかめるかどうかわかりませんが、私はこれからも絵を描きながら、その何かをつかめる日迄、先生とともに歩んでまいりたいと思います。
 芸大浪人最後の夏に父を亡くした私は、ひそかに三木先生を父親のように慕っておりました。今だに先生を想うと胸にこみあげてくるものがあり、自分をどうしてよいのかわかりません。しかし、こうした想いは決して私だけではないのです。私以外にも当時三木先生の御講義を授かり、そのお人柄に触れて、ともに同じ憂いを分かちあえた学生は、多くいたに違いありません。
 私達の心に多くを残して旅立たれた三木先生、・・・なにもかも、有難うございました。
 
(東京芸術大学 油画専攻 技法材料用法研究室修了)