61. 三木成夫先生の想い出
 
田中 聡美
 
 思い返せば、私が初めて先生に会ったのは、大学一年の「保健」という講義であった。その時の先生は、静かにお話なさる優しいお医者さんという印象だった。 講義内容は、とてもわかりやすかったので、音楽バカの私にもすんなり理解できた。しかし、たった一つその講義で、衝撃的だったことがある。それは、先生が、胎児が胎内で聞く血流音をきかせてくれたことだ。「ドクンドクン」という音は、シーンと静まりかえった教室に響いた。
 不思議なその音を、私達は皆、母親の胎内にいた時間いていたのだそうだ。まるで、波のようにくり返される血潮の音は、妙になつかしく響いてくるのであった。当時、作曲科の学生だった私は、先生の研究に対してあまりにも無知だったので、聴覚のみでしか、その音を理解することができなかったのである。
 それから二年程経って、私は友人に誘われ「健康法クラブ」というサークルに入った。その顧問が先生だつた。私が、先生の人柄に魅かれ出したのは、それからだった。
 保健管理センターの先生の部屋には、いつのぞいても、なぜか私と似た感覚の人達が集まっていた。もちろん、クラブの人達もいたが、大抵は、卒業生とか、私の知らない人達だった。彼等は、先生の話が始まると、じつと耳を傾け、物静かにうなずいて聞いていた。そんな私達に、先生は、こっそりと隠している上等のお酒と、どこからか持ってきたおつまみで、もてなすのであった。
 先生のいらっしゃる部屋は、私にとって、実に居心地の良い、安らげる場所だった。また、そこでは、先生を通じて、医学や美術など、自分と違った分野の人々と知りあうことができた。音楽の世界しか知らなかった私にとって、どれ程視野を広げるのに役立ったかは計り知れない。
 そんなある日、先生は、「やっと書き終わったんじゃ」とおっしゃり、私に 「胎児の世界」をくださった。先生は、少々照れながら、両手で顔をなで、髪をかき上げられた。ふと見かけるそのしぐさに、先生のナイーブな恥じらいと、一つの仕事を成し遂げた満足を見てとることができた。
 「胎児の世界」の内容を、当時の私がどれだけ理解することができたかは疑問である。だが、私のような者に、でき上がったばかりの御本をくださった先生の気持ちがうれしくて、夢中で読んでしまった。しかし、「胎児の世界」は先生というフィルターを通じて、ただぼんやりとながめられる遠い世界の話だった。
 それからしばらくして、先生は、ふいに、私達の所から消えてしまった。それと同時に、保健管理センターの集いの部屋も、再び行くことはできなくなった。
 そしてあれから、三年近く月日が流れ、去年結婚した私の手元には、「胎児の世界」と先生の思い出だけが残った。毎日の生活の中で、楽しかった学生時代の思い出は次第に遠いものとなっていった。
 しかし、最近、私は妊娠したことによって、急に先生を思いだすようになった。残念ながら、私は妊娠に気付くのがおそくて、“上陸の歴史”を実感することはできなかったが……。
 今、我が子は、ポコポコと元気よく私の中で動いている。胎動を感じる度に、私はこの子が羊水の中で見ているだろう夢に思いを馳せる。そして、この子は私の中でどんな音を聞いているのだろうかと考える時、先生がきかせてくれた 「ドクンドクン」という音が聞こえてくる。きっと、この子も、そんな生命の鼓動をききながら、うとうとと、まどろんでいるに違いない。今、まさに、昔私が講義できいたあの波の音を、この子が劇的な成長を遂げながら、きいている。
 先生の世界はなるほどこういうことだったのかと、最近になって、ようやく気付いた私である。身をもって体験してみて、改めて、直に先生の世界に接することができるようになってきた。
 毎日、少しつつ大きくなっていくおなかをさすりながら、すばらしい「胎児の世界」の存在を教えて下さった三木先生に、深く感謝しているこのごろである。
                                    (作曲専攻)