62. 三木先生の思い出
 
田中 美香
 
 五月のある日、学校へ久しぶりに登校し、保健センターヘ行きました。ずうっと眠くて眠くて起きれなかったからです。でも、三木先生にはそのことを言わずに黙っていました。ロッカーから、お酒やウニセン、落花生を出し、「そらっ」と両手で一升瓶をもち、コップに注ぎました。学校の状況や健康法クラブの集まりを開く事など話し合い、きみも生物の授業に来ればよいと、棚や箱から美校生の作品を出し、一つ一つ解説しました。
 木箱にうんちの形を入れたり、人形をひっくり返すと樹木になる面白い作品、植物的排便と動物的排便、これは後者が便器におさまらない恰好になっていた。いろいろどの作品にも先生は愛着があるようで、微笑ましく眺め時には興奮して、生あるものの源流について語られました。人間も、植物が四季折々の変化をたどるように、又、幼虫から桶、蝶へおたまじゃくしからカエルと変態するように姿にあらわれなくても何かエネルギーの変生みたいなことが一生のうちにあるのかと思いました。自然は不思議だけれど、あたたかい、心の芯のようなものだと、先生から解釈します。
 それから、門限になり、駅へと向かいました。「わたしはこの道が好きです。」と、歩きながらその道々学校へ通う時の様子を説明しました。「この道は長年しみ込んだ小便で梅雨時は、向こう側を通るんだが、ある勤勉実直な先生は避けずに顔をしかめながらいつものコースを通る。」と、
 芸大から鴬谷への道を先生はいつも鋭い観察をしながら、又、ふっと空を見上げたりしながら通われたのでしょう。
 電車を待つ間、「きみ男と女の交わりは、宇宙的な結合と、もう一つは、自我、我という自分自身の問題。」と話されました。
 そして、最後に、何かある時は、夜の○時から○時に電話してくれるとありがたい、親切に言って頂き、池袋で別れました。
 その一日は、三木先生との長い長い時間でした。
                                    (琴曲演奏家)