63. 花の季節
 
虎尾 真佐子
 
 モシモシ、三木先生ですか。」と電話をする。
 はい、三木ですが――。」
 私事で申し訳ありませんが、相談にのってください。尿路結石で苦しんでいます。今、入院している医者は、切れといいます。どうしたらいいでしょう。10ミリ×15ミリです。」
 それ位やったら、切らんでもえゝやろ。動物の身体は自然に治るよう出来とるんや。人間かて、自然が一番や。ちょっと大きな石やけど、君は体が大きいさかい、内臓もしかりや。じっくりと頑張って自力で出しなさい。東西の医学かて、まだようわからんことが、ぎょうさんあるんや。――そう心配せずに、ゆるりと構えて、頑張りなさい。」
 先生にそう激励されたのは、もう十年前のことです。東京芸大の院生になって、当校の保健センターの中にある三木先生の部屋を訪れるようになったのは、ある年の三月でした。先生の講義の準備役を仰せ付かったからです。そして、通う度に面白い雑談を伺うのが、とても楽しみになりました。上野駅から公園を通り抜けて芸大へ向かうと、美校と道を隔てた反対側に音校があります。その敷地の中に比較的新しい四角い無機質な灰色の建物があります。その校舎の建物の入口に立つと、キャンパス特有の学生の若いざわめき声が急に薄らぎ、静かな一階の片隅に先生の部屋を見出します。
 ドアをノックして中に入ると、ゆらゆらとゆらめくように見える物体が視覚をとらえます。目を凝らすと、生物のアルコール漬けのビンが棚に並んでいます。窓からは風に遊ぶ木の緑葉がすがすがしい風を部屋に運んでおり、骨の標本もそれなりに、息づいているようです。部屋の奥で背をむけて机に向かっている三木先生の後姿には、何やら厳格な白い影がうずくまっているように見えたものです。一瞬 喉がつまります。緊張して静かに待っていると、「やあ、持たせた。」とやさしい声がその背中から響いて来て、やがて柔和な笑顔がこちらを振り向き、近づいて来ます。この印象は、私にとっていつも繰り返され、いつも三木先生の笑顔で一幕を閉じました。
 さて、電話をしてから一ケ月後、ちょっと大きな結石を無事、自力で出した後、報告がてら先生にお目にかゝると、「ほう−。ようそんな大きな石が出たね。ホッホッホー。」とおっしゃいました。その頃の三木先生は、芸大での講義の休憩には、黒板の後にある中庭で、ぽつねんと、一人静かに煙草をゆっくりくゆらせておられたと記憶しています。最後にお会いしたのは、私が東京を去る時で、仙人のようにすっかり容貌が変わられたお姿は忘れられません。
 先生のよく仰っていた自然が何度となく私の体を通り過ぎた今年、三月。またしても結石に悩まされた私がたどった道は、結石破砕療法。医学の技術進歩には、身をもって敬服すると共に、三木先生が、私に与えてくれた心の治療に感謝する次第です。二週間の入院で、傷もなく無事退院。例年よりも早い桜の花ふヾきを眺める瞼に、上野の森の三木先生の顔が重なります。数々のお話を聞かせてくださった声が甦ります。「花は春が来たから咲くのかね。花が咲くから春なのか、どっちやねん。」と始まる先生の授業でのお言葉。三年聞かせていただきました。思い出します。覚えています。
 
(東京芸大大学院、美術解剖学科卒業)