67. 少なすぎる想い出
 
仁科 きぬ子
 
 まだまだ沢山話したい事があったのに……。お逢いして一年余りで逝ってしまいましたね。出逢いのきっかけは、東京芸術大学で三木先生の助手をしていた熊谷さんが、私の円(えん)トレーニング教室に来ていたことからです。
 ある時、彼女が三木先生の「胎児の世界」の本を持って来ました。本を聞くと、謹呈、三木成夫と書いてぁり、逢いたいとおっしゃっていたと彼女から聞かきれました。それは、円トレーニングで行う“胎児の呼吸法”の説明を彼女が、三木先生に話してくれたからです。さっそく芸大に逢いに行きました。お互いに研究してきたことを一気に話し、またたくまに時間が過ぎました。
 円トレーニングとは、人間の本来持っている感覚機能を取り戻し、体と心を一つにして、あらゆる可能性を追求するものです。その内容は、体と心の関係、体の各部分と心身のつながり、五感と心の関係、脳のしくみと心のつながりなどを、体験トレーニングしていくことです。そして、体の健康、心理療法、教育、芸術などの方面に活用されてきました。
 これは私の実体験から出来たトレーニングですので、生体理論がなかったのです。効果があり、活用が先になっていたのですが、どうしてかは解らないことが多かったのです。そろそろ私自身が、生体の勉強を本格的にしなければと考えていた時でしたが、勉強したとしても何年かかるか、または何年かかっても解明できないのではないかと思っていました。
 私は三木先生の本を手にした時から、もしかすると、すごい出逢いが出来るのではと感じていたのです。お逢いして話していくにつれ、今までのナゾがどんど解けていくのです。私は嬉しくて、興奮しました。三木先生は、「やっと、お互いに出逢えましたね。私は生体学の理論から、あなたは体と感覚の体験から、お互いに違った道から追求をはじめ、おなじところに行き着きましたね。」と、おっしゃいました。
 また、私の呼吸は、三木先生の考えていらした理想の呼吸に近く、その体をしていることにも驚いていらっしゃいました。これは、“胎児の呼吸法”のトレーニングによって身についたものです。胎児の世界そのものを体験していく呼吸法で、それは精神まで響きます。これは、三木先生がおっしゃっていた「生命記憶」が甦る一瞬を体感できるのです。
 それから何回かお逢いして、三木先生は理論、私は体験の話をしました。そして二人で講演・ワークショップをする計画を立てていました。
 出逢ってから一年ほどたった夏、円トレーニングの合宿が戸隠に決まり、三木先生もいらっしゃるとのことで、生徒達が楽しみにしていました。それは、円トレーニングに来た人は皆「胎児の世界」を読んだからです。戸隠は、私の生まれた近くであり、三木先生がよく行かれた奥社並木があります。「胎児の世界」に出ているあのスパイラルしている杉の木があるところです。
 しかし、お忙しいとのことで、一緒に行かれなくなり、皆がっかりして戸隠に行きました。そして、合宿三日目の朝、奥社と反対側にある宝光社に行き、杉のスパイラルが奥社の杉と反対方向にスパイラルしているものが多いことに気付きました。三木先生はこの事を知っているのかなあ、帰ったら聞いてみようと皆で話していました。実はこの日、三木先生が倒れました。合宿を終えて家に帰りましたら、三木先生の悲しい知らせがありました。本当に信じられないことでした。
 これから長いお付き合いになると思っていましたのに早すぎますね。まだいくつもある疑問を解いて下きるとおっしゃっていましたのに……。せっかくお逢い出来たのに短か過ぎませんか? あの時、皆で一緒に先生の大好きな戸隠に行っていれば、こんなことにならなかったのではと思います。私の講演、ワークショップでは、いつも三木先生のお名前と、理論を使わせていただいています。お逝くなりになってからでしたが、奥様とお嬢様が、ワークショップに来て下さり、三木先生の研究なされたものと、円トレーニングの実体験のつながりをお受けになって頂き、嬉しかったです。
 これからも、より多くの人に三木先生のことを、私なりに伝えていきたいと思っております。こんなことになるとは思ってもみなかったのですが、トレーニングに来ていた芸大の生徒に、三木先生の講義をカセットテープに取ってもらいましたので、いつでも三木先生の声が聞けるのです。あの熱心で、一言一言をかみしめるように、力強く話す声がすると、まだ生きているとしか思えません。皆の心の中にいつまでもいつまでも、あの声が響いているでしょう。私はこれからもずっと、三木先生と歩んでいくでしょう。
 胎児の鼓動が聞こえますか?……
 
(円トレーニング研究所代表)