68. 芸大での三木先生
 
二宮 玲子
 
 芸大に入って、とにかく大教室での一般教養の授業の騒然さには驚かされた。さすがは専門学校、「職人に学問なんてもんはいらねえ」と言った感じ。そんなわけだから、教授陣もさぞかし講義をするのは疲れたことだろうと思われる。中には小中学校の先生よろしく血圧計の針をふりきる程、憤慨された先生もおられた。(しかし、そういう情熱的お説教はかえって学生を白けさせるだけであった。)
 例えば、故小泉文夫先生も、週一回音楽概論の授業をもっていらした。それは、首狩り族の音楽等、大変貴重なテープを用いた有り難い授業であったにもかかわらず、かの騒音のオスティナートはやむことを知らない。しかし驚いた事に、小泉先生はいつもそういった事には我関せずという風に、ニヤニヤほほ笑みをたたえつつ授業を全うされた。それを見て私は乱雑の中に超越が存在するインド的崇高さを垣間見る思いがした。
 ところで三木先生は、音楽学部において、先生にとって幸いなことにそういった一般教義の授業はもっておられなかった。ただ、年に一度だけ、かの「胎児の世界」についての集中講義をされた。なにしろ夏休みをひかえた暑いさ中での長時間にわたる集中講義なのだから、学生も出席はするものの、冒頭からしゃべり始めており、大教室はさながら社交場と化してしまっている。三木先生ははまず神妙に自己紹介をされ、それから突然おっしゃられた。
 「深く大きく息を吸って、ゆっくりしっかりはき出しなきい。」
 「何だ?」と言った感じで、一瞬、大教室全体がキョトンと静まりかえった。
 「イキヅマルと言ってな、むりやり静かにさせると窒息して死んでしまう人種がおる。特に声楽科の連中などは年中声を出していないと生きておられんのだ。だから、どうしてもしゃべりたくなったら、大きく空気を吸いこんで、しつかり息をはき出しなさい。」
 この生理学的根拠による、思いやりあふれたお言葉に、皆あっけにとられ、それ以後数時間、寸分の隙もなく三木先生の世界がみるみる繰り広げられていった。
 ふと気がつくと胎内での心音のテープがきこえていた。はるばる続いた個体発生と系統発生の航海を皆がいっしょにし終えたような不思議な感じだった。
 三木先生(=胎児の世界)との出会いはこのようなものであったが、これ以後、どうも月のリズムに導かれるように時おり保健管理センターに出向き、三木先生の諸説を有難くうかがわせていただくようになった。
 先日、ふらりと映画の「ドグラ・マグラ」を見に行き、胎児の世界が思い出された。三木先生の御感想をうかがいたく保健管理センターをたずねると、あのかざりだなのドクロが、「ワッハッハ」と笑い出しそうな気がする。
                                    (芸大作曲科卒)