73. 三木先生とお子様の絵のこと
 
皆本 二三江
 
 三木先生の思い出は、研究資料に使わせて頂いたお子様の絵を中心にめぐります。
 先生は二人のお子様・さやかさんと成能くんが家庭で描かれた膨大な絵に、日付けやメモを添えて保存しておられました。昭和五十五年頃でしたか、梅雨どきの午後、私は母校でもある芸大にその絵を借りに行きました。月齢順に整理され、丈夫な紙の手提げにぎっしり詰まったご姉弟の幼児画が、校門のそばの受付で私を待っていました。この手提げは、既製の紙袋を中味のサイズに合わせて、先生が作り替えられたようでした。雨に濡れないようビニールの風呂敷が被せてあり、その細かいご配慮に感銘をうけたのでした。
 そのころ私は、男女の絵画表現の違いを調べていました。表現の性差を尺度に、十二世紀前半に制作された国宝の源氏物語絵巻が、女性画であることを論証することも考えていました。こうした研究資料の一つに、ご姉弟の絵を拝借したいとお願いしましたところ、先生は絵巻の絵を詳しくご存知で、「あのチョビ髭を生やした女々しい男たちを描いたのは、いったいどんな奴かと不思議に思っていた。そうでしたか」と鋭い共感を示されたのでした。表現というものは正直に作者の性を投影するもので、源氏物語絵巻に登場する男性は一人のこらず女性の容姿を呈しており、そこにも描き手の性が読みとれるのですが、先生もその異質な描写に気付いておられたのです。またこの日先生から、お医者様らしいユニークなご指摘を伺いました。それは「御法」(みのり)の段の詞書の第五紙についてです。ここは源氏の妻・紫の上の臨終場面ですが、細い筆でつづき書きした連綿遊糸体のかげろう(陽炎)のような書が、絵巻中でも一際はかない美を奏でています。先生はこの書が、臨終の人間の呼吸の様態に通じていると言われたのです。あの字の書家は作中人物に成りきって、自ら喘ぎ喘ぎ書いている、というのです。そしてこういう感情移入は男性より女性に発現しやすい傾向があり、その点ではあの書も女性の筆であろうか、と話されました。お子様の絵については、「いつかこれを研究したい人が現れるかも知れない、と思って保存してきた」ことを強調され、ご快諾下さいました。先年、先生のご存命中に私の研究をまとめた著書を出版できましたことは、せめてもの慰めでございます。この本には、さやかさんと成能くんの絵を、冒頭のカラーページをはじめ本文中にも掲載させて頂いております。
 先にお子様の絵を入れた紙袋について書きましたが、あの丁寧な包装には、お子様方への愛情がこめられていたと思います。先生はお子様の絵を大切に思われて、完璧な包装を手作りされたのです。ご両親の慈愛に包まれたお二人の絵は、どれもみな幸福いっぱいの可愛らしいものです。その上またこの絵は、知的で優れた表現力をもってい卦す。私はお二人の絵をたびたび著書や研究物に掲載させて頂きましたが、それはこの作品の資の高さが、資料としての説得力をもつことにも拠っています。じつはご長女のさやかさんは、現在、美術大学にご在学だそうです。それを伺ったとき私は、まことに自然なご選択と感じました。芸術を愛されたお父様の、お喜びのお顔が思い浮かんでまいります。         
 
(美術教育・武蔵野女子大学教授)