75. 「三木先生のクリスマスプレゼント」
 
向川 惣一
 
 三木先生に初めてお目にかかったのは、金沢大学の山田致知先生の実習室であった。その当時、まだ山田先生の『解剖指針』の図を描くために勉強を始めて間もない私にとって、三木先生の語るフィロゲニーの世界がどれだけ理解できたのか思いだすと赤面することがある。金沢から上京して芸術大学での講義を聴けるようになって、すっかりおなじみになった先生自筆の図を見たのもこのときが最初であった。講義で配られていたプリントを、三木先生は御自身でお書きになられていたことを知ったのは芸大に進学してからのことだった。その当時の私は三木先生の講義をプリントを見ながら聴いていても、そこに描かれているシェーマの美しさと動物の体を土管にたとえる面白さ以上のものを読取ることが出来なかったようである。
 これはレオナルドの美術解剖学について研究を進める上で色々な場面で問題になったことだが、私が三木先生に頚部の血管について質問したのもこのときが最初であった。三木先生は私の質問に対しておかしな質問をすると思われた様子で、この時は取りあってもらえなかった。レオナルドの解剖手稿の中に描かれた頚部の血管系の図は、解剖学の教科書の記載と異なっているものが多い。それにも係わらずレオナルドの解剖学についての研究書でも、この問題についての説明はほとんど行われていないことに気づいた。頭部の浅層の静脈については、V.subcutaneaいうことで非常にバリエーションが多く、その形態について分類上の区別は行われているがバリエーションが生じる過程は分っていない。そのことから頭部の血管系について三木先生にお伺いしたのだが、解剖学の基礎知識に乏しい当時の私の話はただの愚問にしかすぎなかったようである。当時、この問題からレオナルドの美術解剖学と呼ばれるものを研究する糸口を得たいと思っていた私は、肉眼解剖学の大家の目からは随分と不遜な人間にしか見えなかったと思われる。浅見先生からお聞きしたのだが山田先生自身は私をメディカルイラストレーターとして育てる積りであったらしく、レオナルドの美術解剖学について具体的な研究に進めれたのは芸大で中尾先生の教室に来てからのことである。今、芸大に入学した当時を振返えると修士課程の研究テーマに出来なかったが、このレオナルドの解剖手稿の図から考えだしていた頚部の血管系のテーマについての仮説と、レオナルドの解剖図についての仮説が同居した不手際な話を那須に在る芸大の研修施設でのゼミナールで発表している。帰りのバスの中で三木先生から「医学部であればナー、解剖学の論文に出来たテーマじゃ」と評価していただけたのが何にもまして嬉しいことであった。というのも、三木先生は昭和六十年の初冬山田先生の実習室に再びいらっしゃったが、この年のクリスマスに、三木先生から芸大の大学院の願書を送って戴いたからです。昭和五十八年にお目にかかつた後、『胎児の世界』を読んでいらい生物学の講義を先生の足下でお聞きする日を一日千秋の想いで待っていたからでした。
 三木先生にお開きする機会を失ったが、先生がお亡くなりになる十年前に芸術大学で私の書いた戯曲を上演したことがある。見て戴けたかどうか分らないが『絵本…閉ぎされた夢の中で』という題名の戯曲である。もしも三木先生が生きていらっしゃったなら、この戯曲を笑いながらお読みになられたであろうと思うと奇妙な気分になるのだ。修士論文の仮説を初めて見て戴いたときと同じ表情をしながら、きっと三木先生は「十年前では早すぎたナー、今上演すれば最高じゃ」と言って新しい玩具を手にした少年のような微笑みを浮べるのではないかとおもいながら…………。蓋し、書かれたものはイメージとしてどれ程の遡及力を持つものであっても、芝居として演じられたとき示される生の魅力からは遠いものであろう。振返ると三木先生の講義はそのような生のものだけがもつ新鮮さがあった。たとえ三木先生の描くシェーマの持つ解剖学上の意義が、美術を学ぶ学生達にとって高度な簡単には理解できないものであったとしても、あうんの呼吸を通して学生達の魂のうちに響かせあうような先生の講義は何ものにも換えがたいものであった。一年間の講義を纏めたノートとして三木先生の芸大での最後の講義内容が私の手元に残されている。このノートのことは三木先生も御存知であったが宮木先生に最近の講義のようすを伝えるため纏め直したものだった。三木先生が「どうだ向川君、最近東京にきてから宮木君とは会っているか」と尋ねられ、不義理なことに困惑していた私の表情を見ると、三木先生は「画学生というのはそれで普通ジャ、私が電話するから…」とおっしゃられた。このとき三木先生、宮木先生と三人でハゲ天でお酒を飲みながらしていた比較解剖学談義は忘れられない思い出となった。
 ノートに記された先生の講義は故人の糟粕を紗ごしに嘗めるようなものである。小町谷先生からお伺いした話でほ、先生はお亡くなりになられた年の那須ゼミの夜に芸大での講義を出版する話をしていたそうである。塚本さんから芸大での講義出版のためノートを見せて欲しいと頼まれた時、三木先生のクリスマスプレゼントにお返しができるのが嬉しかった。 
 
(芸大西洋美術史研究生)