8. 夢みる解剖学者
 
井尻 正二
 
 三木成夫氏との出会いは、戦後、東京医科歯科大学歯学部の解剖学教室でした。と申しますのは、私は一九三六年(昭和一一年)以来、故藤田恒太郎先生の教えをうけ、同校の前身・東京高等歯科医学校の解剖学教室で勉強を続けさせていただいていたからです。
 お陰様で、私はたくさんの解剖学者とその業績を知ることができました。しかし、戦前は古生物学に関心をもつ解剖学者はごくわずかなものでした。
 たとえば、直接、お目にかかったことはありませんでしたが、故西成甫先生もそのお一人でした。しかし、先生のご研究は、三次元からなる生物の進化系統を、二次元の現在の空間に投影した比較解剖学という見地のそれでした。
 また、藤田恒太郎先生もそのお一人で、いつも古生物学の重要性を指摘され、みずから哺乳動物の化石採集に参加されたこともありました。
 戦後は、古生物学に関心をもつ解剖学者は、急激に増えてきたように見うけられます。しかし、その古生物学にたいする関心は、自分の具体的な研究テーマはさておき、概論的に解剖学を論じるばあいに、古生物学にふれる、という例が多いように感じられます。
 ところが、三木氏はこれとは別で、自分の具体的な研究に古生物学を生かしておられました。というよりも、ヒトの解剖学と古生物学を統一した学問を実現された、数すくない解剖学者の一人だったと思われます。
 このような三木氏の業績については、どなたか専門分野の方が紹介されると思いますので、私は何も申しません。そして、私はこの三木氏の学風に魅力をいだいた以上に、同氏の風貌にひかれる者でした。
 氏とは、とくに深いおつきあいはなく、ままお会いして雑談する程度でしたが、三木氏はいつも「夢見る人の目」をしておられました。私はこの三木氏のまなざしが大好きでした。
 さらに三木氏は、解剖学の世界を超越し、生物進化の悠久の歴史のなかに、人間の存在価値をみいだそう、といつも夢見ておられたのだと思います。
 私は、これからももっとたくさんの三木氏が解剖学界に生まれることを祈ってやみません。そして、三木氏は長いねむりの中で、いまも同じ夢を見つづけておられることと信じます。