83. 三木成夫先生の想い出
 
川口惇夫
 
 初めて三木先生にお会いしたのは、二十年以上も前である。心理学科の学生だった私は、面白いから出てみろという友人の言葉になんの考えもなく、専攻とも関係ないしと気楽に人体解剖学を選択した。鰻の寝床のような縦長の薄暗い教室で初めて三木先生の講義を受けたのだが、正直はっきりとした印象は残っていない。それ以来、先生からいただいたものの大きさを考えれば、もっと印象的な出会いであってもよかったと思うのだが、今思い返してみても自分自身の記憶がどこからか霞の中になってしまうように先生との出会いもおぼろげな気がするのである。
 半年間の講義が終わる頃、期待に反して無機的だった心理学と違って、生き生きとした生命や心の求め方があることにひかれて七、八人の友人と先生のところへお話を伺いにいった。先生の講義に興味を持った我々を、先生も喜んで迎えて下さり、それをきっかけとして、読書会がもたれることとなった。はじめのうちは大学の控え室などを使っていたが、学園紛争など始まり落ち着かないこともあり、茗荷谷や本郷あたりの喫茶店から、ついには当時の新宿百人町のご自宅に押し掛けたりもした。ちょうどお嬢さんが誕生されて間もなくで、優しいパパぶりとともに赤ちゃんの手の持つ表情と仏像の手のことや、お地蔵さんの顔と赤ちゃんの顔の話などうかがった。はじめて玄米食をいただいたり、若い奥様に驚いたりと先生のご家族にひかれていったりもしながら、クラーゲスの「表現学の基礎理論」「意識の本質について」など具体的に分かり易く教えていただいた。
 それとあわせて女子医大の千谷先生からも直に教えを受ける機会を作ってもいただいた。当時は私の大学が学園紛争でロックアウトされていて、学生のくせに首を突っ込んでいた研究室と、三木先生の読書会でかろうじて学生をやっていたと思う。しかしこの頃から私にとっての目標というか価値観というか、それまではっきりしなかった道のようなものが見え始めてきたのだと思える。
 その後も先生とは家族ぐるみのおつきあいをしていただいてきた。日常のちょっとした出来事や遊びにつれていった私の子供の動きなどからも様々な教えをいただいたものである。私は今は児童福祉の現場で仕事をしている。様々な煩悩に満ちた人間、我執のぶつかり合いの真っ直中にいて、知恵遅れ、登校拒否、非行等表面的にはいろいろと問題名がつく子供達と共感できる接し方をこころがけてきた。学生時代の甘い読みは外れて、現場でも数の理論は大変に幅を利かせている。治療論も大勢は数の論理である。まして行政機関としての位置付けは、まったく数のみでしか現象を見ない。私が初めてお会いした頃の三木先生の年齢になってみて、むろん先生には及ぶべくもないのだが、こんな気持ちで学生(子供)に講義(話し)をされていたのかな、と思うことがある。
(神奈川県相模原児童相談所 心理判定員)