84. レクイエム
 
郷古 欣五
 
 〇四九二−六二−八三三四 ダイヤルを 回す
 「三木ですが…… 」 あの独特な イントネーション
 今でも 私には きこえてくる
 けれど あの三木さんは もういない
 
 昭和二五年秋 ヴァイオリンをかかえた 貴兄に
 私は 始めて おめにかかった
 お互い 戦後で 疲れていたが
 まだ 若かった はたち台の青春
 
 私は良い師に 巡り合った
 小川先生 千谷先生 富永先生
 そこに うつ病を 昇華させた
 貴兄の笑顔があった
 
 時は流れ 季節が移り
 ご長女「さやかさん」が 誕生された時
 あれ程 嬉しそうな 貴兄の笑顔を
 私は それ迄 見たことが なかった
 
 年に一度 私の友人 櫻井君と
 ふぐちりを食べ 「美味しいのう!」と云って
 僅か ゴブレット一杯の ビールに
 貴兄は 頬を そめていた
 
 昭和五八年 中公新書 「胎児の世界」 
 それが 上梓された 貴兄の顔に
 一応 安堵した 未来が
 確かに やって来たのに……
 
 昭和六二年八月……九日だったか……
 中日ドラゴンズの ルーキー 近藤が
 巨人に ノーヒット ノーランで 勝った夜
 貴兄は 喜んで 拍手したと云う
 
 その翌朝 籐の寝椅子に 倒れて 入院し
 そのまま 眠った様に 逝ってしまった
 八月一三日……余りにも若すぎた……
 それは 貴兄の美学だったのか
 
 どうにも やりきれない想いで
 貴兄を 見送ったー 通夜……告別式……
 暑い夏の日々 陽が眩しかったが
 そんなことは どうでもよかった
 
 昭和六三年一二月 ご長男「成能君」が
 校内マラソン大会で 三年男子 二百四十三人中
 見事 三位に 頑張ったと云う
 貴兄が いらしたら どんなにか……
 
 〇四九二−六二−八三三四 ダイヤルを 回す
 「三木ですが…… 」 あの心を 和らげる声音
 今でも 私には きこえてくる
 けれど 三木さんは もういない
 
(同じ学生アパートの屋根の下にいた 友人)