86. 三木成夫先生をしのんで
 
斎藤 公子
 
 古生物学者井尻正三氏の御紹介で芸大の医務室に三木先生をお訪ねしたのは八年前の丁度桜の満開の頃であった。
 上野の森の桜があの様に美しいのを知ったのは初めてであった。浮浪者・浮浪児達の集まり場所であった終戦直後の上野の森、戦後はじめて開かれた美術展、“よみうりアンデパンダン展”に出品した時に通った上野の森、博物館通いを日曜たびにした戦後の数年、いづれも桜の花はないときであった。
 芸大!私が最大に入学を欲した戦前の美校!今私はそこの門をくぐるのだ。戦前の明治憲法にはばまれ、不当な男女差別で入学出来なかったあこがれの学校の門をくぐる時の感慨は一しおであった。
 さすがに芸大である。門の前の植木の見事さに先ず驚き、そしてどんな先生にお目にかかれるのか、と私はまだ見ぬ三木先生をお待ちした。
 さて、この日の、三木先生と過ごした数時間は、私にとって余りにも強烈な印象であり、おどろきであり、喜びであったので、とんでかえり、職場の人たち、会う人毎にこの日の事を私が話すので、もう三木成夫先生の保育講座は超満員であった。
 しかも、講座の演題が『内臓の感受性』というのであるから、この題名からだけでも話がおききしたくなるのは当然である。案の定当日はあまりふしぎな世界の話である事と、先生の実演の演技がすばらしいために笑いがやまず、大事な事を忘れてしまうのではないかと私は心配する程であった。しかし、この講演はあとで『内臓のはたらきと子どものこころ』―築地書館―と題した本にまとめられたので安心した。
 さて、私だけ本当に得をして申しわけない事だが、先生の研究室で、小さい小さいニワトリの胎児の心臓に先生が墨汁を注射されるや、小さなからだの中の血管がたちまち墨汁で網の目のようにそまってみえるすばらしい姿をけんび鏡でみせていただいた。
 そして先生は、ヒトの胎児の受胎後一ヶ月はニワトリの四日目と同じで、それまでえら状で呼吸しているのに肺にかわることをつきとめ、学界に発表したとき、これはノーベル賞ものだと思ったが、わずかのちがいでイギリスの学者が、羊水中の尿素がアンモニアにかわる時期をみつけ、個体発生と系統発生の関係を発表してしまって、彼がノーベル賞をとってしまった、等と残念そうに話された。この胎児のえらが肺にかわる頃、流産が多いのは、三十億年の生物の歴史の中で、海から陸に生物があがるというのは大変な事で生物の進化の中でも一大ドラマであった事がこの事でもわかる、と話されたのであった。また羊水はきっと太古の海にちがいないと思い、お産に立ち会い、破水の時になめてみたらやはり塩あじがした、とも話された。その頃、自然科学界では、まだ個体発生と系統発生との関係をこのようにはっきりと打ち出している時ではなかったので、井尻正三氏が私たちの保育大学に三木先生をぜひと紹介された理由がよくわかったのである。今ではニルソンの胎児誕生・成長の、子宮内の写真も本になり、誰でも知る事実となったが、あたらしい学説は常にすぐみとめられるわけではなく、独自の研究をされていた三木先生が、井尻正三氏の目にとまった時は大変うれしかったと三木先生もしみじみと話されていたものである。
 人間は宇宙の中の小宇宙である、と三木先生は具体的にゲーテの形態学からも学ばれてわかりよく話して下さった。中でも人間の植物部門である内臓の感受性を大切に大切に育ててゆく事の育児の上での重要性は、私たちの保育をどんなに理論づけ、はげまして下さったかはかり知れない。
 ややもすれば乳幼児に文字をつめこむ早期教育の方に走りがちの昨今である。しかも、乳幼児の保育は身辺自立、排泄の自立にあるとしての躾教育、また衛生を重んじるとして、畳や泥をはいずり、なんでもなめて育つ時期に、不潔という事で歩行器やベット、柵内にとじこめておく保育が多いが、この事のあやまりを実に大胆に率直に話して下さった事、指差しの意義、これは自閉児が指差しが出ないので心配されていた時なので、私たち保育者には実に胸におちるおはなしであった。
 夜型の生活が多くなってきてからの子どもの異状も私達が心配している事であったし、先生はこの事について再度講義をしたいとおっしゃって下さったのに、あまりに先生の死は唐突であり、私をおどろかせ、保育界のために深くかなしまざるを得ない。
 残された奥様、お小さいお子さまの事をも想い、悲しみはいやますばかりであるが、私達大勢の保育者、両親達にとっても、先生は天才的な教師、医師であられたがために短い命であられたのか、と惜しまれるばかりである。
 
(さくら・さくらんぼ保育研究所長)