9. 三木成夫先生の想い出
 
磯村 源蔵
 
   八月十四日、愛知教育大学の生物学教室から電話を頂き、「昨日、三木先生がなくなられました」とのこと、唖然としてしまいました。
 
 故三木成夫先生と初めてお会いしたのは、昭和六十二年四月二日、春雨のしとつく正午頃、東京芸大の先生の研究室でした。 昭和大学医学部で開かれた解剖学会の期間中、日本医大の宮木孝昌先生と一緒に先生の研究室を訪ねたときのことです。 宮木先生はかねてより三木先生とは親しく、比較発生学の研究に関して種々示唆を受けておられました。
 訪問時にはスンクスの迷走神経の特異な形態について相談するつもりで伺ったのです。先生は神経系についてはあまり詳しくないということで、代わりに再版なったばかりの「胎児の世界」に取り上げられた発生学的事実の問題点を詳しく説明してくださいました。 これは三木先生の独壇場で、ヒトの妊娠三十二日から三十八日頃の胎児の頭部の写真をもとに、この時期の急激な鰓弓血管系の変化を詳しく説明されました。原始哺乳類のスンクスのもの時期のものを是非観察してみたいということになり材料取りを約束しました。 発生学的な仕事に今迄取り組んだことがなく、爬虫類の面影を示す材料がスンクスの胎仔期の何日目に相当するのかが解りませんでした。 帰ってから三ヶ月何匹も妊娠させては何回も胎仔を取り出し、ようやく約束した材料が取れたのは七月も半ば過ぎていました。 三木先生に電話で連絡しますと「すぐに取りにいきます」との返事があり、七月二十三日愛知教育大学での集中講義の帰途私の研究室に立ち寄られました。実体顕微鏡を覗かれ、「これです。これです」と喜びながら「この観察結果を十一月に長崎で行う講演会に使用します」と言われたのが目に浮かびます。 帰り際「胎児の世界」で使用された原図のカラースライドを数枚「記念に」と言っておいて行かれました。
 まさかその二十日後になくなられようとは夢にも思わず、これからの仕事の発展を考えながら玄関までお送りしたように記憶しております。
 
 三木先生のお名前は、東京医科歯科大学に萬年 甫先生を訪ねた大学院学生の頃うかがったのが最初で、金沢大学の山田致知先生のもとでもしばしば耳にしました。 生物の現象を非常に論理的に考える研究者であると。
 私にとって三木先生との出会いは「一期一会」の言葉そのままのように思え、お会いした機会をもっと大切にすべきであったといまでも残念に思っております。
 
(解剖学、 藤田学園衛生技術短期大学 解剖学教室)