91. 三木成夫先生を偲んで
 
中山 英子
 
 なにはさておいても、「三木先生、ありがとうございました。先生はよりよく生きるとはどういうことかを、〈いのち〉の尊さの意味を、教えて下さいました。三木先生との出会いがなかったら、〈多忙〉を理由に、四季の移ろいをしみじみと感じることのできる〈こころ〉の大切さを、〈あたま〉が〈こころ〉の声に耳を傾けることの大切さを、気づかずに過ごしてしまっただろうと思います。先生には、人間としての生き方、いや、私自身の生き方を教えていただきました。感謝の気持でいっぱいです」と申し上げさせていただきたい。
 三木先生のお名前を私が初めて知ったのは、二十数余年前、メヂカルフレンド社で看護の図書を編集しているときであった。その折は先生にお目にかかったことはなく、著書を通してしか存じあげなかったのであるが、その後思いがけなく仕事の場が現代社に移り、同社の相談役的存在でいらした先生に、直接お話しを伺う機会が多くなったのである。
 現代社での日々は、これすべてが三木理論一色であったといっても過言ではないほど、皆のめりこんでいたことを懐かしく想い出す。そんななかで私は、皆とはちがう覚めたものを感じていた。正直いって、当時、西洋のいわゆる科学的論文に慣らされた頭にとって、こういう見方もあるのだという驚きはあったものの、理解できない点も多く、文学的表現の濃い文章に戸惑いを感じたりで、あまり深入りをしていなかった、というのが偽らざる状況であった。
 それがなぜ、目から鱗が落ちるごとくに先生の話しが見えてきたのか、自分でも不思議であるが、あるときを境として、ひびいてきたのである。そのエポックは二度あった。上野の森で先生の講義を聞いた一九七五年頃と大病をした一九八三年頃であった。後者のときは、まさに「こころから」わかったのであった。また、『相似象』の宇野多美恵さんとの出会いも大きかった。
 先生の文章、語り口のうまさは定評があるが、芸大での講義もユーモアと巧みな話術で二時間の授業が短く感じるほどであった。リズムの話のところで、当時、テレビのコマーシャルで大変うけていた、サミー・デイビス・ジュニアの律動的な動きをそっくりに真似て、学生を喜ばせていたあのお姿は、忘れることのできないことの一つである。
 先生はまた比喩や暗喩の達人でもあった。自然リズムと生物リズムのハーモニーのひとつの典型として、南下する「モミジ前線」と北上する「サクラ前線」の往き来の描写は、とくに私の好きな文章の一つであるが、先生の文章はまさに詩であり、一幅の名画を眼の当たりにするようである。
 さて、ここで楽しいエピソードを一つ。あの端正な風貌からは、想像もつかないほどひょうきんでサービス精神のある先生は、上野の一郭にあるお料理屋さんでのこと、逆さにすれば、虚無僧がかぶる深編笠のような竹製の反古(ほご)篭を部屋の隅で見つけ、冗談を言いながらその篭をかぶったまではよかったのだが、さあ大変、先生の鼻の高さが災いしてか、脱げなくなってしまった。その篭のなかには、使用済みのチリ紙が少々入っていたとさ、というわけである。皆で転げ回って笑ったものの、笑ってはわるいような複雑な気持になったのを今でもはっきりと覚えている。
 亡くなられる半年ほど前のこと、三木先生のお考えに共鳴する看護の方々と、先生の論をバックボーンとして人間(患者)を看ていけるような本を作ろうとすすめていたのであるが、教えていただきたいこともあり、近々お伺いさせていただこうと話していた矢先の訃報に信じられないでいた。
 数か月たって、先生の著作をまとめて出版するという話しがもちあがり、私も及ばずながらお手伝いできることがあればと、お宅に何度か伺わせていただいたのであるが、そんなある一日、奥様のお許しをえて見せていただいた先生のノート。先生の手のぬくもりが伝わってくるような、しなやかな、使い込まれた皮表紙のノートから、先生の永遠のテーマである「植物的―心情―こころ」と「動物的―肉体―あたま」の関係を表わしたシェーマが目にとびこんできた。座標軸の中央には例の「羽織を作ったら紋に入れるといい」とおっしゃった脊椎動物の個体体制の図がおかれ、〈あたま〉と〈こころ〉の関係がいろいろなバリエーションで、何年にもわたって、丹念に記されていた。それは年を追うにしたがって、少しずつ変化している。なぜか見てはいけないものを見ているような、そして先生にお会いしているような、不思議な感覚に襲われて胸が締めつけられる思いがした。しかし、このノートには永遠に先生の筆が入れられることはないのである。
 こんなにも早やすぎる御逝去を残念に思うのは、三木先生を知るすべての人の思いであろう。いや、だれにもまして残念に思っているのは、三木先生その人ではないだろうか。
 先生が残して下さった数々の御著を大切にし、これからのくらしに、そして看護に生かしていきたいと思います。本当にありがとうございました。
 こころからのご冥福をお祈りいたします。
 
(看護学書編集者・看護婦)