93. 成夫水難
 
井上 博也
 
博也 「成ちゃん、昔、俺があんたを池に突き落としたこと、覚えているか?」
成夫 「いいや、それいつのこと?」
博  「俺が幼稚園に入る前ぐらいかな、六十年ほど前の話。場所は徳島の俺のうち。」
成  「ふーん。全然覚えてないなあ。」
博  「俺も細かいことは覚えてないけど、あの小さな池の端で、二人並んでしゃがんで、鯉か何かをのぞきこんでた。成ちゃんは俺の左側、俺の左手が、のり出していたあんたの背中を押した。じゃまだから少しよけろと、横の方へ押すつもりだったのかもしれん。」
成  「それでどうなった?」
博  「そこがなあ、どうもはっきりしないんだけど、あんたが落ちたことは確かだけど、それにそう深くはないから、大事に至ったということは勿論ない。」
成  「それでもあの池に落ちたとすれば、這い上がれたのかなあ?」
博  「たぶん、俺のおふくろやあんたのお母さんが、うしろの縁側あたりに居た、あわてて下りて来て助けたように思う。成ちゃんが泣いたか、どうか。俺は勿論叱られたはずだが、ひどくおこられた記憶はないんだ。」
成  「ふーん。それにしてもよく覚えているなあ。ずーっと覚えてたのか?」
博  「いいや、六高のときも、いっしょに下宿してた大学のときも話していない、思い出さなかった。加害者のひけまから、思い出すまいとしていたということか?」
成  「同い年でも、おれはあんたより一年近く若い。もう少し後のことだったら、俺も覚えてるだろうな。」
博  「あのときの心理はよくわからんが、ともかく、俺はあの頃、柔軟そうな、りこうそうなあんたが、癇にさわってしょうがなかった。二人とも男兄弟のいちばん下、やせ型、蒲柳の質、あんたのお母さんも、うちのおふくろも、いちばん心配だったんじゃないかなぁ。」
成  「おふくろ同士は同病相憐れんだかもな。」
博  「そうだったと思う。うちへ来たとき、あんたは俺につきまとった、というと少しオーバーだけど、それが何となくしんどくて、俺の癇にさわった。丸亀と徳島、ちょっと離れていたけど、色んな意味で、従兄弟の仲ではいちばん近い存在だった。近い者ほど仲が悪いというか、仲良くするのは難しい。豈、幼児のみならんやだが。」
成  「まこと、生きとし生けるもの皆そうじゃ、サバイバルのたたかいよ。」
博  「共存共栄は夢でしかないか。それはそうと、蒲柳の質といえば、二人とも、六高のとき『健民修練』というのに行かされたなあ。」
成  「そうそう、昭和十八年の夏休、俺が一年、博ちゃんが二年のとき。」
博  「前の年までは夏休にインターハイがあったけど、あの年から中止、全員、勤労動員で工場やら鉱山やらへ行かされた。」
成  「ただし体の弱い者だけは免れて『健民修練』、落伍者の気分で湯原温泉に合宿。」
博  「あの湯原の川へ泳ぎに行ったとき、あんたは岸の高い岩の上から飛び込んで、すいすい泳いでた。俺は飛び込みなど、おっかなくて、あの成ちゃんが成長したもんだな、と感心した。」
成  「水泳部じゃからな。」
博  「うん、そうだ、あんたに水泳を教えたのは、この俺の左手だ。」
成  「成程、罪一等減じよう。」
博  「俺は野球部、あんたの兄さんは皆、野球で鳴らした。あんただけは野球もようせん弱虫じゃと思うとったけど、水泳では差をつけられた。それに寮祭でフリチンで踊ったとか、成夫はその名前のとおり、よく成長した。それにくらべて、この俺はいつまで経っても癇癪持ちの内弁慶。学問・芸術・諸芸百般差をつけられた。差がついたら、もう癪にさわらん。」
 
 この会話の真実性を疑われて当然です。三木成夫の口数が少なすぎるし、被害者が覚えていないはずはないと。
 成ちゃんと、この話をしたことはありません。今頃になって、記憶が濃度を増して来ました。暗室光の中で、画像が徐々に現れるように。
 「博ちゃん、それは……じゃ。」と彼はもっと多くのことを語ってくれたはずですし、そんな機会はまだまだ、いくらでも持てるはずでした。
 「馬鹿は死ななきゃ直らない」という文句があったと思いますが、「馬鹿は、死ななきゃ、わからない」
 こんな下手な言葉を思い付く昨今です。失わなければ貴重さのわからない、自分の愚かさを今さら嘆いてもはじまらないのに。
 
(従兄弟)