ラロンの復活祭
 
 
                            小阪清行
 
 
《テルの村へ》
 
 三日前に大阪からチューリッヒに着いた信彦は、その夜、南ドイツで医者をしている友人のハンスに、ホテルから電話しておいた。ちょうど復活祭の休暇をスイスでスキーをして過ごすというハンスの一家とは、この日ルツェルンで落ちあうことになっている。彼らが来る夜の八時まで信彦は息子二人と、スイスでも最も美しい町の一つと言われるルツェルンとその近郊を遊覧することにした。午前中、町の象徴カペル橋を渡り、ライオン記念碑、氷河博物館などを見てまわった彼らは、今ヴィルヘルム・テルゆかりの地アルトドルフに向かう列車の中にいる。車窓から見るルツェルン湖のほとりの牧歌的な眺めとは対照的に、子供たちの話題はグロテスクだった。
 「おれのクラスのSなんか、学校に蛇持ってきて、授業中になでよんぞ。変態じゃわ、あいつ。……」
 久しぶりに日常の生活の流れと書物から解放された旅人の胸中には、様々の想念がつぎからつぎへと浮かんでは消えてゆく。信彦は、学生時代にアパートの隣の部屋に住んでいたセールスマンから聞いた話を思い出していた。その男は、どこかの囲い者と怪しげな仲になっていたが、その女が家に蛇を飼っており、彼女が一人のとき、天井裏から這い降りてきて、彼女の布団にもぐり込んでくるという。信彦は、その蛇が女の股間に頭をつっこむことがあったとも記憶している。しかし、それが、男の話の記憶なのか、それとも自分の夢の記憶なのかはっきりしない。当時彼には就寝前に祈る習慣があり、ねじ伏せられた何ものかが夢の中でのた打ちまわってファンタジーを生んだのだったのかもしれない。
 さきほど──ルツェルン駅を出てしばらくしてのことだったが──列車はキュスナハトという小さな駅に停車した。どこかで聞いた名前のようでありながら、彼はなかなか思い出すことできなかった。それが「自己」の探求者ユングが五十年以上に渡って住んでいた土地だと気付いたとき、列車は、ルツェルン湖湖畔のその美しい集落を眺望する丘の斜面を走っていた、信彦はしばらくの間何か大変な発見でもしたごとく、身をのり出して興奮ぎみに外を眺めていた。そんな父親の様子を変に思った子供の一人が、ヘッドホンをはずして怪訝そうにどうしたのか訊ねた。彼はユングとその教えについて噛み砕いて説明してやったが、小学六年と五年の子供に理解できるはずもなく、二人ともきょとんとした様子で、また音楽の中へと潜っていった。キュスナハトが見えなくなり、湖やアルプスの山々を眺めるのにも飽きた彼は、トランプをやり始めた子供たちのテープレコーダーを借りてヘッドホンを耳につけた。
 
 コツコツとアスファルトに刻む足音を踏みしめるたびに
 俺は俺で在り続けたい そう願った
 裏腹な心たちが見えて やりきれない夜を数え
 逃れられない闇の中で 今日も眠ったふりをする
 …………
 ああ しあわせのとんぼよ どこへ
  お前はどこへ飛んで行く
 ああ しあわせのとんぼが ほら
 …………
 
 一匹狼のヤクザを主人公とするテレビドラマの主題歌だが、この曲には特別の思い出があった。そもそも、この子連れヨーロッパ旅行を決行するキッカケを作った事件と、今聴いている『とんぼ』とが妙なつながりを持っていた。
 
 約五ヶ月前のことだった。脛の骨の痛みがとれないという上の息子を、整形外科で診てもらってきた妻の顔つきが尋常でない。
 「骨肉腫かもしれん」夫を奥の部屋に引っぱっていって優子は言った。「いや、絶対にそうにちがいないわ。あわててレントゲンを撮って、フイルムを見たとき、先生の顔色がサッと変わったもの。そりゃあ、先生ははっきりとそうだとは断言はしなかったけど。でも、くどいくらい詳しく直哉と私に色々なことを訊くのよ。私が『悪いんですか。アレなんですか』って訊きなおしたら、『それを心配しとんのや。普通、ちょっと打ったくらいで骨があんなに膨むことはまず考えられへん。念のため血液検査しときます』って。二ヶ月前に痛み出して、別の外科に見せたときは、心配ないと言われたんですけどって言ったら、普通の外科ではあれは中々分かりにくいんですって」そう言った優子の目から急に涙が零れた。
 「だけど、血液検査の結果を待ってみんことには、まだ本当に骨肉腫かどうか分からんよ。ともかく心配はそれからや」
 「あんたは恐ろしさを知らんから、そんな呑気なこと言うておれるんよ」楽天的な夫を蔑むような言葉を吐いて、優子は泣き崩れた。彼女の友人が、結婚式を二週間前にして骨肉腫と診断され、腕や脚をつぎつぎと切断されながら死んでいった話を、信彦はすでに何度か聞かされていた。
 「ともかく私は、絶対に直哉に手術は受けさせませんから。そんなの、体を切り刻んで惨(むご)い目にあわせるだけ。そうなる前に、あの子と一緒に私も死んでやります」
 「馬鹿言え。まだそうだと決まった訳でもないのに」妻がヒステリックなのは、今に始まったことではない。また例のパターンで、検査の結果が出れば、彼女の実家の方でもしばらくは笑い話の種に事欠くまい、そう信彦は高をくくっていた。しかし優子の方は、それから二晩一睡もしなかった。朝は健気に元気よく子供たちを送り出したが、それからあとは泣きずくめだった。そんな夜、上の二人の息子たちが夢中になっていた『とんぼ』を、家族全員で聴いたのだった。
 
 ああ しあわせのとんぼよ どこへ
  お前はどこへ飛んで行く
 ああ しあわせの──
 
 「直哉!!」急に優子は子供を抱きしめて泣き叫んだ。
 「お母さん、なんか変やなあ」幼稚園へ行ってる末の息子が信彦の膝の上で言った。
 「お母さんが変なんは、前からやんか」
 週末をはさんでいたため検査は暇取った。結果が出る前の日、優子は睡眠薬を買ってきた。
 「やっぱり間違いないわ。本屋へ行って、色々な医学書を調べてみたけど、完全に症状が一致してるもの。二人でこれ使って楽に往くから、あと頼むけんね。痛みがひどくなる前に、一度直哉にヨーロッパ見せてやって」一縷の望みに縋り付こうとしていた彼の心は、この瞬間音をたてながら崩れていった。妻と抱き合って、どれほどの時間泣き続けたことだろう。
 (俺も一緒に死んでもいい……)
 そう思ったとき、意外にも彼の心は冴えわたっていた。リルケの詩を思い起こす余裕さえあった。死んだ妻オイリュディケを連れ戻すため、冥界へ行ったオルフォイスのあの一節──
 
 あのように愛された彼女。そのために琴(リラ)から、
 葬いの泣女の嘆きとは比較にならぬ嘆きが生まれた彼女。
 嘆きから一つの世界が生まれ、その世界には、
 一切のものがそっくりまた存在した──森や谷、
 道や村落や、畑や川や獣など。
 そしてこの嘆きの世界をめぐって、
 ふしぎな形をした星々の輝く嘆きの天があった。
 
嘆きの世界(クラーゲ・ヴェルト)。彼は自分もまたその別世界に迷い込んでいる気がした。そこでは現し世のすべての思い煩いが──それまでいくら払い除けようとしても逃れられなかったあの煩悩が──不思議なほど完全に消え去り、今彼が見ているのは、切なく澄み切った美の世界だった。
 感情の昂まりが徐々に退いていったとき、これに似たような経験が幼い時代にもあったような気がした。彼が十三才の正月、兄が山で遭難した。それは信彦の体験したはじめての身内の、しかも最も愛しい者の死だった。あの時彼は、自分が全く別の世界、金属音を発する真空の空間に移っているのを感じていた。その時、「永遠」が彼に近かった。そして今また、彼は自分を縛っている一切の糸が裁ち切れたような自在さを感じていた。それまでの自分の生が、空の空であったように思われた。今、死への恐怖も不安もほとんど感じなかった。あるのはむしろ、時の流れからの開放感──
 血液検査の結果が知らされる瞬間、受話器を持つ彼の手は微かに震えた。
 「マイナスでした」
 「はあ?」
 「異常ありません」
 「……すみませんが、先生とかわってもらえますか」
 「いやあ、心配したけど、どうもない。大丈夫や。念のため、二・三日してもう一ぺん見せてもろとこか」
 「阿呆!!」と怒鳴るなり、彼はしたたかに妻の頭に拳骨を喰らわせ、また二人で抱き合っておいおい泣いた。三人の子供たちは唖然として狂った二人の親を見つめていた。
 「よっし、お祝いにヨーロッパ行こう!」
 
 アルトドルフの駅に降りると、歩きながら信彦は二人にテルとこの村の関係について話してやった。シラーの戯曲によれば、テルはこの村(ドルフ)の広場で息子の頭の上のリンゴを射抜いたことになっている。その広場にはテルと息子──もしかすると親に殺されていたかもしれない息子──の大きな記念像が立っていた。それ以外は何の変哲もないただの田舎町にすぎなかった。
 
 帰りの列車は闇の中を走っている。じっと窓の外を見詰める信彦の目に、民家の灯火がパッと飛び込んできては逃げてゆく。十五年振りの再会を前にした彼の脳裡に、なつかしい姿が影絵のごとく立ち現れて、ぐるぐる回転しはじめる。
 
 
《黒い森(シュヴァルツ・ヴァルト)にて》
 
 十八年前、信彦は西独南部のT大学に留学した。格別学業成績が優れていた訳ではなかった。学生時代、親の反対を押してまで牛乳配達のアルバイトを続けていたため、金銭的に親の信用が得やすかったことと、当時実家の商売や不動産経営が好調であったこととが幸いしたまでのことであった。
 地方の大学町T市は、彼が敬慕してやまなかったヘルダーリン修学の地であり、かつ詩人が三十余年の狂った半生を送った所でもある。大学に落着いたある日、信彦は、図書館で話しかけてきたアメリカの女子学生に、学生キリスト者同盟の留学生サークルに顔を出すよう粘っこく誘われた。毎日聖書を開くことが習慣になっていたが、もう何年も礼拝などに出たことのない彼にとって、クリスチャンとのつき合いは煩わしく思われた。にもかかわらず行くことにしたのは、その集まりが若きヘルダーリン、ヘーゲル、シェリングなどが共に学んだ神学寮(シュティフト)で行われると聞いたためだった。
 その夜神学寮(シュティフト)の韓国人の部屋に、六・七人の留学生と、数人のドイツ人が集まっていた。そのサークルのリーダーがハンスだった。全員が暖かく新顔の彼を迎えたが、ハンスの目は格別やさしかった。
 ずるずると信彦はその集会に出席し続けた。昼休みの祈祷会にも参加するようになり、日曜日の礼拝にはハンスが彼を誘いに寄った。数ヶ月後、ハンスは復活祭の数日間を自分の実家で過ごすよう彼を招待した。
 駅で出発時間を待つ彼らはキオスクの前に立っていたが、そこに並べられた雑誌の表紙はほとんどヌード写真で埋められていた。
 「ノブヒコ、向こうへ行こう」ハンスはそう言いながら、彼を斜め前の花屋のウィンドーのところへ連れて行った。色とりどりの花や観葉植物を眺めながら、「こっちの方が、ずっと心が安らぐから」美しい微笑を浮かべたハンスは言った。
 (一メートル九十近い巨体の、いったいどこにこのような純真さが宿っているんだろう)自分の醜さを省みるとき、信彦には、友の心の美しさが眩しくさえ感じられた。
 T市から列車で一時間余り、「黒い森の門」と呼ばれるネッカー川沿いの小さな町にハンスの実家はあった。
 駅には父親のツァップ氏が迎えに来ていた。車は駅から十分ほど雑木林につつまれた丘陵を登り、小さな村落の一軒家にとまった。ヘル・ツァップは国鉄の技師、フラウ・ツァップは小学校の教員。共稼ぎのせいか、結構裕福そうに信彦には思われた。新築の家の応接間はいくつもの熱帯魚の水槽に囲まれていた。悠々と泳ぐ大きめの魚たち、チョコチョコ動きまわるグッピー、ゆらゆら揺れる水草などを眺めることは、何とも言えぬ寛ぎと仄あたたかさを感じさせた。庭は建坪の優に五倍はあり、庭の向こうに牧草地が、そのまた遙か彼方にはシュヴァルツ・ヴァルトの樅の木の黒い影が、復活祭の明るい日射しの中にうっすらと見えていた。
 家族はハンスの弟妹を入れて五人。皆それぞれ個性を具えながら、シュヴァーベン人らしい純朴さと人懐こさは共通していた。シュヴァーベン──それは古来、シラー、ヘルダーリン、メーリケ、ヘッセ等数多くの詩人を育んだ土地だった。ハンスと同様、弟もやはり医者をめざし、開発途上国に援助者として派遣されることを希望している。妹はピアノと絵に堪能で、芸術家か教師を志している。両親は共に熱心なキリスト者で、特にヘル・ツァップは戦後シベリアに抑留され、その後無神論者として荒んだ生活を送っていたが、結婚後自分の妻を通して信仰を得、平信徒ながら時々請われて説教壇に立っていた。食前の祈りの雰囲気には、それまで何処にも感じたことのない自然な敬虔さが感じられた。その自然さが信彦には特に新鮮で快かった。両親は底抜けにやさしく、弟妹もすっかり信彦になついた。弟は森で集めたアンモナイト等夥しい化石を見せ、記念に何個か信彦に与えた。妹はモーツァルトを演奏してきかせたり、オースター・アイと呼ばれる玉子に美しく着色した復活祭のプレゼントに添えて自作の版画を数枚彼に贈った。三泊の予定であったが、家族全員に引きとめられて、彼はさらに二日とどまることになった。
 最後の日、早朝からハンスと二人で、黒い森の真珠のようなフロイデンシュタットからバイアースブロン村までヴァンデルンすることにした。キリストの復活伝説と、冬が去ったあとの自然の蘇えりを讃える北欧の自然宗教とが結びついたのが復活祭である。だからこの時節はそろそろ一時に草木が花開く本格的春が近いことを感じさせる。日の光はすでに明るく温く、木々の新緑が快い。「黒い森」とはいっても、樅の木が多いため遠くから見ると黒く見えるからそう呼ばれているのであって、名前から連想される陰鬱さは全くない。
 ハンスは森の地質学的歴史や植物について詳しく説明した。もともと自然科学には興味のない信彦であったが、森の中を歩きながら語るハンスの言葉は、詩のごとく彼の耳に甘美に響いた。
 数時間歩くと滝に出くわした。小さな滝ではあったが、深閑とした森の中では、近寄ると、瀑布のような神秘な音となって彼らの耳を打った。川を少し下った河岸でサンドイッチを食べ、二人とも寝ころがって、長閑な光を身に受けながら長い間黙(もだ)していた。はるかな滝の音、小鳥の囀り、樅の梢をわたる風のさやぎ、小川のせせらぎ……信彦が目をあけると、抜けるような青空から日の光がヒラヒラと花びらのように舞い落ちてきた。その瞬間、《Taufe dich!》<バプテスマを受けよ!>という声を彼は聞いた。彼はそっと立って、まだ冷たい川の水をすくい、額を濡らした。ハンスは目を閉じたままだった。その夜信彦は、手帳のその日の日付のところにこう記した──
 「シュヴァルツ・ヴァルトにて受洗。一九××年復活祭より、まことにわれはひとつのよみがえりなり」
 
 
《再会》
 
 信彦はさっきとは逆方向に走る列車から灯のともったユングの町を見下している。
 (ハンスが着くことになっている八時までまだ一時間以上あるが、ひょっとしてもうホテルに着いているだろうか……)
 
 降りだした雨をみつめながら待つ信彦の部屋にノックがあったとき、もう八時半をまわっていた。写真で見おぼえのあるハンスの妻イングリットと娘のアニーだった。アニーは信彦の息子たちに、籠に入った復活祭の菓子(オースターハーゼ)を渡した。「私が作ったんですよ、この籠は」イングリットは言った。
 息子たちは照れて、教えられた「ダンケ・シェーン」も言わず、ぎこちなくペコッと頭をさげただけだった。
 彼らよりも二・三才年下のアニーの方は、信彦から日本の土産を受け取ると、握手を求め、《Danke schön, Herr Fujino!》ときれいにお礼の言葉が言えた。
 ハンスが車を駐車場に置いて少し遅れて息子と一緒に入ってくるまでには、信彦とイングリットはもう互いに《Du》で話しかけていた。ハンスは信彦の姿を見つけるや、例の巨体できつく、しかし優しく彼を抱きしめた。そして十五年前と少しも変わらない美しく輝く目で、信彦を見つめ直した。
 子供たちを寝かせつけてから三人はホテルのレストランで語り合った。ハンスの家族の近況、学生時代の思い出、ハンスのアフリカでの医療活動、信彦の家業の倒産とその後の教師生活──。ヨーロッパに来ることになったいきさつについて訊ねられたとき、信彦は一瞬ためらった。が、ありのまま事の顛末を語った。果たして、イングリットが遠慮がちに、しかし言わずにおれないという調子で言った。
 「たとえそれがどんな病気であろうと、子供と一緒に自殺するなんてことは、私にはとても理解できないわ、ノブヒコ。子供は親の所有物ではなく、一個の独立した人格なんだから。どんな事情があっても神以外誰もその命を奪うことはできないはずだし、また神から与えられた命を自分で奪うことは、生命を軽くみることではないかしら。それにあなたと子供二人を残して死ぬなんて、論理的にも数学的にも、全く理不尽な一種の狂気だと思うわ」
 「ぼくも最初は全く同じように考えたんだよ。そして、最後の最後まで同じようなことを言って家内を思いとどまらせようとしたんだ。でも、だめだった。家内のパトスの前では、ぼくのロゴスは巨人に立ち向かう蟻のようにちっぽけで弱々しいものに感じられてね。もうどうしようもないと観念した瞬間、妻が崇高な存在に思えさえした」
 「でも、エートスってものがあるじゃないか」今度はハンスが言った。
 「うん、でもそのエートスの根拠としているものは何なんだろう。ぼくにはそれは、歴史的社会的な要素によって規定されているもので絶対的なものとは言えない気がする」
 「ぼくの言うエートスというのはね、ノブヒコ、そういうものじゃなくて」ハンスはちょっと間を置いてから、「永遠の神と、その神から遣わされたイエス・キリストによって啓示された秩序のことで──」
 「しかし、その啓示そのものが、絶対的なものとは言えないんじゃないの。キリスト教は真理かもしれないけれど、恐らく唯一絶対の真理とは言えないと思う。いろいろの真理があっていいんじゃないかな。さっきイングリットは、子供は一個の独立した人格だと言ったけど、われわれには子供は親の分身、つまりもう一つの自己だという考えだってある。キリスト教的西欧的考えは絶対に正しいが、それ以外の教えは一部しか正しくないとする前提はどこかおかしいよ。文明の高さと宗教は一応無関係だとぼくは思う」
 多少宗教論争じみてきたその場を救うため、ハンスは話題をずらせた。「ノブヒコ、君はT大学を退学して通訳として働き、そのお金を全部、飢餓救済基金に寄付しただろう。君が日本へ帰ったあと、そのことが新聞に載ったよ。イングリットや両親との間で君のことが話題になると、よくそのことを話してる。イングリットもぼくも、とても君のことを──」
 「あれは偽善的な行為だったと今は思ってる」
 あの金を銀行に振り込んだときの後味の悪さと、のちに女を買ったときの不思議な開放感とが信彦の脳裡をかすめた。しばらく座が白けた。話はそのあと、日本の経済のことなどに移って、ぎこちなくその夜は別れた。
 
 リルケが晩年を過ごした南スイスのミュゾットという村に行きたいという信彦たちを、翌朝ハンスは小雨の中ルツェルン駅まで送った。
 「いつか日本に尋ねて来てよ」
 「随分先のことになりそうだね。開業してるとそんなに長くまとめて休めないから」
 ありきたりの話をしながら、彼らは列車の動き出すのを待っていた。出発直前にハンスはまた彼を抱きしめた。心なしか昨夜ほど強くないのを信彦は感じていた。
 
 
《バラの中のリルケ》
 
 乗り換え地ベルンあたりで雨はあがった。多くの渓谷やトンネルを通ってローヌ川沿いの町シエールに着いたのは、昼を大分過ぎてのことだった。ヴァレー地方の蒼い空に、雲は一片も見えなかった。
 そこはフランス語地域であり、ほとんどドイツ語が通じなかった。ホテルの受付でさえ、ドイツ語も英語も話せなかった。信彦は知っている限りのフランス語を使って、やっとのことで部屋を取り、荷物を置いて近郊の村ミュゾットに向かった。リルケが手紙の中で、シエール駅から車で約五分と書いていた記憶があったので、散歩がてら歩いて行くことにした。拙いフランス語で何度も道を訊ねながら、長い長い坂道を登ってミュゾットにたどり着いたときにはもう、暖かかった空気がひんやりと感じられるほどになっていた。
 「お父さん、これがそのお城?うちの家の方がよっぽど大きいやん」
 子供が疑うのも無理もないほど「ミュゾットの城館(シャトー)」は小さかった。かつてリルケのパトロンであったラインハルト家が別荘として使っているとのことであるが、今は人気がない。二百坪ほどの庭はブドウ畑と牧草地に隣接している。見渡せば、小さな古い礼拝堂、ポプラ並木、果樹園、他のいくつかのシャトー、アルプスの山々、空、そして風……。晩年のリルケはしきりにフランス語でミュゾットやバラを歌った。信彦は草の上でじゃれあう子供たちの声を聞きながら、リルケの詩集を開いてみた。
 
 この空を瞑想してきた者たち、
 彼らは未来永劫にわたって
 この空を賛美し続けるだろう。
 それは羊飼いと葡萄作りたち。
 
 彼らの眼を通して
 永遠を獲得しただろうか、
 この美しい空と、空をわたる風は、
 この青い空は?
 
 そして風のあとのかくも深く
 かくも力強い静寂──
 それは充足して眠っている
 神のようだ。
 
 フランス語をほんの僅かかじった程度の彼にも、詩の美しさは十分伝わった。今、この詩を、書かれたその地で読んでみると、なぜリルケがそれをフランス語で書かなければならなかったのか、その秘密が少し感じ取れる気がした。彼は城館の柵のそばに寝ころがった。そして草の香りを嗅ぎながらしばらく目をつぶっていた──
 (リルケ文学の中心のテーマは不安の克服だった。ミュゾットで書かれた晩年の詩には、もはや不安は感じられない。しかし彼の得たこの平安は、真に揺がざる平安だったのだろうか。それとも現実を凝視することに疲れた詩人が、これほどまでに恵まれた隠遁の地で得ることの出来た逃避的、自閉的、平安にすぎなかったのであろうか。美しい土地では人の心も美しかろう。シュヴァルツ・ヴァルトでは、この俺の心でさえ、ちっとは美しかったじゃないか)
 翌朝、一駅引き返したヴィスプからタクシーでラロンに向かった。そこにリルケの墓があるのだ。愛想のよい若い運転手は流暢なドイツ語をしゃべった。信彦がそのドイツ語を褒めると笑いながら言った。「ありがとう。でもドイツ語がぼくの母語ですからね。言語境界線は、ちょうどシエールとヴィスプの間を走ってるんですよ」。Muzotを「ミュゾット」という風に、フランス語とドイツ語をちゃんぽんにしたように発音するのも、きっとそれと関係あるんだろう──そう信彦は推理し、新しい発見の喜びに酔っていた。
 ローヌ渓谷の小村ラロンは切り立った断崖の麓にあったが、崖から張り出した岩場の上に礼拝堂が立ち、その真下には岩をくり抜いて作ったかなり大きな教会があった。信彦たちはまず岩教会(フェルスキルヒェ)に案内された。その日は聖金曜日(カールフライターク)で、そのためか誰かがパイプオルガンの練習をしていた。日光の完全に遮断された巨大な岩の空洞の中で、聖なる音だけに包まれた自分を彼は感じていた。
 礼拝堂への登り口まで車をまわしてもらい、しばらくそこで待つように運転手に頼んで、三人は坂を登った。礼拝堂の裏の壁に接して、リルケの墓はあった。その位置からのアルプスを背景にしたローヌ渓谷のパノラマはまさしく一幅の絵に例えることができたであろう──もし、手前の切り崩された採石場と彼方の工場の煙突さえなかったならば。
 墓石には例の公案のような墓碑銘が読みとれる。
 
 バラよ、おお純粋なる矛盾よ
 かくも多くのまぶたの奥で
 なにびとの眠りでもない喜び
 
ちょうど月桂樹が詩人の頭を飾るごとく、木蔦が墓石を両側面からおおっていた。その前に何本かバラの木が植えられているが、数十センチばかりの幹だけで、新芽はまだ吹いていなかった。近くにバラの枯枝の切れ端が落ちていたのを彼は拾い集めた。
 「お父さん、それどうするん」
 「ここにリルケの体が焼かれんまま埋められたやろ。リルケの体が土に伝わって登ってきて、バラの花を咲かせたんや。そやから、この枝の中にもリルケが入っとるやろ。この枝を煎じて飲んだら、おまえたちの中にもリルケが入ってくるで。やってみるか」
彼は大真面目にそう考えていた。
 彼は一年前、脳軟化で意識のないまま三年間寝たきりだった父親を亡くしていた。便と尿と薬との臭いが混じりあった病室で、二ヶ月に一人の割合で死んでいく同室の老人たちを見詰めながら、彼は死との対話を重ねていた──
 (目の前のこの俺の親は一体生きているんだろうか、死んでいるんだろうか。そもそも生と死の境目なんてものは医者が勝手に考え出したもんで、はっきりした一本の線なんて引けっこないんだ。精子と卵子がくっついて何ヶ月目からを人間と見做すなどという法律が何の根拠も持たないように、死の定義なんてものも所詮ナンセンスなんだ。親父の脳の機能が停止しようと心臓が動かなくなろうと、その細胞の一部は、ここでピンピン生きてる訳だ。その俺が死んでもやはり俺の一部は子供の中に生き続けていく。かりに子孫が絶えるようなことがあっても、俺の肉体は原子としてバラバラになり、宇宙に散らばっていき、永遠に滅びることはない。ゲーテも言ってるじゃないか《Kein Wesen kann zu nichts zerfallen!》<何ものも滅びて無と帰すことなし>と。おれの原子もかつてイエスや仏陀の体内にあった原子といつか必ずくっつくはずだ)
 彼は今、手にしたバラの枝を見詰めながら、この中にリルケがいることを確信した。
 (歌神オルフォイスは、妻を失ったのちただ悲しみの歌をうたうばかりで他の女たちをかえりみなかった。そのため軽蔑されたと怒ったバッカスの巫女たちに、彼は襲われその身体を千々に引き裂かれ、引き裂かれることによって彼の歌が万象に宿り、その中でいまなお永遠に歌い続けているという。リルケこそ、生死の両界を自在に往き来するオルフォイスだった。そしてそのオルフォイスと俺は一つになる。墓石の前のこの盛りあがった芝生の所に放尿すれば、やがて確実に俺は死んだリルケと一つ。今俺がこの枝をかじれば、即座にリルケは生きた俺と一つ。そうだ。生と死の境目なんてありっこないんだ。要は、生と死を貫いて宇宙全体を流れる生命の環流に身をまかせるだけ。そうすれば、一瞬一瞬が「永遠」となり、死の不安は消え、いつか俺も従容として死を迎えることができるだろう。──いやぁ、ヤッパそいつは無理じゃないの?何かの拍子に、一時的にそんな気になれることがあるとしても、煩悩を断ち切った人間なんかに金輪際なれっこないんだ、この俺は。これからも俺は陋劣な生を生きていくだろう。そして死を前にしては、ギャアギャア叫び、おろおろ涙を流すだろう。しかし、小心翼々たるこの愚かな姿こそ自然な自分だと開き直って、このまんまの自分を肯定できる人間──そんな人間になら、俺だってなれそうじゃないか)
 礼拝堂のまわりのあまたの墓には、すでに春の花が咲き乱れていた。
 「さあ、いこうか」。復活祭の温みゆく風を吸いこんだ彼は、子供たちを促して、ラロンの坂を下っていった。


[付記] 
 「風跡」第16号(1990年3月)発表
 この話はフィクションです。