三木成夫の著作からの引用


● 三木成夫の著作から
       『内臓のはたらきと子どものこころ』より
       『人間生命の誕生』より
 
 *** 『内臓のはたらきと子どものこころ』より ***
 
 このようなわけで、私どもは、宇宙リズムがもっとも純粋なかたちで宿るところが、まさにこの内蔵系ではないか、と考えているのです。専門的に内臓器官を「植物器官」と呼びならわしてきたのは、この間の事情をもののみごとに把握していた、なによりの証拠ではないかと思うわけです。
 なるほど、私たち人間の内臓系を見ますと、この食と性の宇宙リズムは、ほとんどなくなりかかっている。こうした中で、しかし皆さん方の卵巣だけはいぜんとして健在です。まっ暗やみの腹腔の中に居ながら月齢だけはちゃんと知っている。べつに潜望鏡を出して天体観測をやっているわけじゃないでしょう・・・・(笑声)。こうなれば、もう卵巣そのものが一個の“天体”というよりない。小宇宙が内蔵される、とはこのことをいったのでしょう。 
 ・・・(中略)・・・
 しかし、これは、はじめにも申しましたように、ギリシャの昔から言い古されてきたことです。あの「大宇宙と小宇宙」の世界ですね。古代インドの『人天交接』も、まさにこのことをいったものではないでしょうか・・・・・。私たちの内臓系の奥深くには、こうして宇宙のメカニズムが、はじめから宿されていたのです。「大宇宙」と共振する、この「小宇宙」の波を、私たちは“内臓波動”という言葉で呼ぶことにしております。
   (築地書館)


 *** 『人間生命の誕生』より ***
 
 ここで、われわれの呼吸のリズムの歴史を振り返ってみたいと思います。まず、古生代の昔には脊椎動物が上陸を始めます。かれらがどんなにして上陸したかは古生物学上の大問題ですが、これは一つのストーリーとして聞いてください。例えば波打際にいるとします。波がさし押し寄せ、ある時間波をかぶり、またさっと引いて行きます。つまりここでは海水と空気の状態がリズミカルに交代しますが、この時われわれは、波が引いた時息を吸い、波を被っている間は息をぶくぶくと吐く。呼吸のリズムと波の寄せては返すリズム、恐らくこれは脊椎動物の上陸時の出来事として何らかの関係があると思います。波のリズムは北氷洋でも南氷洋でも変わっていません。今から十億年、二十億年前の波のリズムと今の九十九里浜のリズムは変わらないと思う。・・・このリズムと脊椎動物が獲得した空気呼吸のリズムとは何らかの関係があったと思うのです。
 さて、波のリズムは太陽系のリズムのひとつと考えられますが、この太陽系の無数のリズムの中で一番身近なものは日リズムで、われわれの休息と活動のリズムと一致します。これが月のリズムとなると女性の卵巣になります。この卵巣は二十八日おきに一つずつ卵を放出するのです。いったいこれはどのようなメカニズムで起こるのでしょうか。東京湾のゴカイが一定の月の満月の一定の時刻に一斉に海上に浮かび交尾するとか、また鮭が回遊してサンフランシスコ沖から間違わずに石狩川に帰って来るとか、動物は一般に時間、空間を確実にキャッチする能力を生まれながらに持っているようです。
 ・・・・われわれが将来を配慮して、一年間の食料を貯えるのは、人間だけが持つひとつの智能でしょう。しかしこの智能もひとつ間違えると、人間の慾になります。人間の腹をたち割ると“慾と糞の塊”といいますが、ほんとうに慾はひとびとを盲目にするものですね。また将来計画といわれますけれど、それはじつは「予期不安」であることが多いのです。われわれはこうした慾と不安に駆り立てられて次第次第に自然から離れて、あるいは自然を破壊して行くのをお釈迦様は憂えたのではないでしょうか・・・・。
 話が横道にそれてしまいましたが、呼吸のリズムもこれと全く変わりないと思います。われわれの日常を振り返りますと、このような慾と不安に駆り立てられた時の呼吸には、全くリズムというものがない。大抵は息を凝らし、さらには息を殺しております。これに対して、平常心の時には呼吸のリズムがあります。これこそ、古生代の昔からえんえんと続いてきたリズムです。それは、始めにお話しました、あの波打際の、ザザーッと寄せて、そしてサァーッと引いて行く、あのリズムです。それこそ宇宙的なリズムではないでしょうか。お釈迦様の呼吸の教えはこのことではないかと思っております。
   (築地書館)